さくしゃじんめいろく

作者人名録

歌舞伎の世界で “作者”とは、歌舞伎の脚本を書く人を指します。 17世紀はじめ、歌舞伎が生まれてからしばらくは、一座の中の座頭の俳優、もしくは劇作を得意とする俳優が芝居の筋や演出を考え、“口立(くちだて)”と言って口頭で一座のものに伝える方法を取っていました。 しかし、徐々に芝居が発展し、一幕ものから何幕もあるものになり、登場人物が増え、内容が複雑になってくるにつれ、口だけでは十分に伝えきれなくなり、文字に起こした脚本を書く必要がうまれます。歌舞伎では寛文期(1661~1673年)に入ると、俳優の中には舞台も勤めながら作者を兼ねて脚本を書くものや、あるいはそこから一歩進んで作者へ転向するものが出てくるようになりました。 その一方で、近松門左衛門のように、初めから脚本を書く作者として劇場に勤める専業の作者も生まれました。作者は座元と座付の作者として契約を交わし、その一座のための狂言を書きました。ここでいう狂言とは、歌舞伎の脚本のことです。歌舞伎では、このような座付作者たちはやがて“狂言作者”という職種を形成し、劇作のみならず、歌舞伎上演にかかわる多方面の仕事に携わるようになりました。この制度が確立されたのは、おそらく歌舞伎が興隆をみた17世紀末の元禄時代であったろうと考えられています。以後、約200年余にわたり歌舞伎の脚本はこの座付狂言作者により作られてきました。 明治となり文明開化の風潮が広まり、歌舞伎にも娯楽性だけでなく史実としての正確さや文学性、芸術性を求められるようになりました。そこで座付の狂言作者以外の、外部の文学者や知識人が歌舞伎に戯曲を提供するようになりました。現在では新作の歌舞伎脚本は、外部の劇作家によって書かれることが多くなっています。しかし現在も狂言作者は作家から独立した職分として、上演脚本の整理、稽古の進行、柝(き)など舞台進行にかかわるさまざまの仕事を担当しています。(飯塚美砂) 【図版】 初代歌川豊國「本よみの図」 1803(享和3)年発行『絵本戯場年中鑑』挿画 立作者の初代並木五瓶(左端)が、出演俳優一同に向けて自作を読んでいる。

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