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ちかまつもんざえもん 近松門左衛門

日本のシェィクスピアとも称される。世界ではじめて庶民を主人公にした悲劇を書いた

1653(承応2)~1724(享保9)

【略歴 プロフィール】
近松門左衛門(本名 杉森信盛)は、越前の吉江藩士の次男として1653(承応2)年、福井に生まれました。15歳のころ、父が浪人したため一家は京へ移り住みます。信盛も公家のもとに仕えて、和歌や文学などの伝統的な文化や文芸に触れていたといわれています。
当時京の四条河原にあった人形浄瑠璃の劇場、宇治座では、宇治加賀掾(うじかがのじょう)が活躍していました。近松はここで浄瑠璃作者としての修業を始め、1683(天和3)年の『世継曽我(よつぎそが)』で評判をとります。そして同じころに、大坂道頓堀に竹本座を旗揚げした初代竹本義太夫(たけもとぎだゆう)のために近松が書き下ろした『出世景清(しゅっせかげきよ)』は、義太夫の芸風と相まって、それまでの人形浄瑠璃とは違う新しい浄瑠璃として世間の注目を集めました。
以後は加賀掾や義太夫に数々の浄瑠璃作品を提供していきますが、一方で歌舞伎の作品も手掛けています。1695(元禄8)年に京の都万太夫座(みやこまんだゆうざ)の座本となった初代坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)から座付作者として迎えられ、『けいせい仏の原(けいせいほとけのはら)』『けいせい壬生大念仏(けいせいみぶだいねんぶつ)』などの元禄歌舞伎を代表する作品を次々と生み出し、こちらも大当りをとりました。
1703(元禄16)年、ちょうど大坂に来ていた近松が、曽根崎天神の森で起こった心中事件に取材して書いた『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』は、それまでの歴史上の事件や人物を扱った浄瑠璃とは違い、同時代の等身大の人物を主人公として登場させた近松初の世話浄瑠璃でした。これが評判を呼び大入りとなって、当時の竹本座が抱えていた負債をすべて返済することができたといわれています。
1706(宝永3)年ごろ、大坂へ移り住んだ近松は竹本座の座付作者として活躍し、1715(正徳5)年に上演された『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』が3年越し17ヶ月間の大当りをとるなど、つぎつぎと優れた作品を生み出しました。
後年は後進の作者たちの作品に添削を加えるなどしていましたが、1724(享保9)年1月に上演した『関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)』が最後の作品となり、同年11月22日に亡くなりました。

【作風と逸話】
近松の作品は、社会的制約の中で生きる登場人物たちの人間的な葛藤や心情を細やかに描いた世話物が有名ですが、これは彼が歌舞伎作者として活躍した時期に、歌舞伎の世話狂言を書いていた経験によるものといわれています。
またこの世話物24編の他に多くの時代物作品を残しており全体で90余編に及びますが、歴史的な事件や壮大な世界観の中で展開する中に、親子や夫婦など登場人物たちの情愛にあふれた姿を生き生きと描いており、その人間観察の深さは現代の社会にも通じる普遍的な内容を含んでいます。戯曲としての価値はもちろんのこと、その流麗な文章と文学的水準の高さも合わせて、今や世界中から高く評価されています。

主に歌舞伎の作者として活躍していた四十代の頃は、座付作者として執筆活動の他にも、一座の配役決めから大道具や小道具の手配、絵看板の下絵書き、などいろいろな仕事をこなす忙しい日々でした。当時同じ都万太夫座の役者で作者でもあった金子吉左衛門(かねこきちざえもん)の日記には、坂田藤十郎をはじめとする一座の役者たちとこまめに次回作の打合せをしたり、他の劇場へ芝居を見に行ったりする近松の様子が描かれています。(井川繭子)

【代表的な作品】
世継曽我(よつぎそが) 1683(天和3)年9月
出世景清(しゅっせかげきよ) 1685(貞享2)年二の替
けいせい仏の原(けいせいほとけのはら) 1699(元禄12)年二の替
けいせい壬生大念仏(けいせいみぶだいねんぶつ) 1702(元禄15)年二の替
曽根崎心中(そねざきしんじゅう) 1703(元禄16)年5月
心中重井筒(しんじゅうかさねいづつ) 1707(宝永4)年11月以降か
傾城反魂香(けいせいはんごんこう) 1708(宝永5)年か
堀川波の鼓(ほりかわなみのつづみ) 1711(正徳1)年正月以前か
冥途の飛脚(めいどのひきゃく) 1711(正徳1)年初秋以前か
大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ) 1715(正徳5)年春か
国性爺合戦(こくせんやかっせん) 1715(正徳5)年11月
鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら) 1717(享保2)年8月
山崎与次兵衛寿の門松(やまざきよじべえねびきのかどまつ) 1718(享保3)年1月
日本振袖始(にほんふりそではじめ) 1718(享保3)年2月
博多小女郎浪枕(はかたこじょろうなみまくら) 1718(享保3)年11月
平家女護島(へいけにょうごのしま) 1719(享保4)年8月
双生隅田川(ふたごすみだがわ) 1720(享保5)年8月
心中天網島(しんじゅうてんのあみじま) 1720(享保5)年12月
女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく) 1721(享保6)年7月
信州川中島合戦(しんしゅうかわなかじまかっせん) 1721(享保6)年8月
心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん) 1722(享保7)年4月
関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま) 1724(享保9)年1月

【舞台写真】
『平家女護島』俊寛 俊寛僧都(中村吉右衛門) 平成25年6月歌舞伎座
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