16世紀末から17世紀初頭に京に現れた出雲阿国らの「かぶき踊り」は、それ以前の能の舞台と囃子の様式を利用していました。能では楽器の小鼓、大鼓、太鼓、笛を合わせて「四拍子(しびょうし)」と呼びます。阿国の歌舞伎もその四つを使っていました。そこに大陸から渡来した三味線が加わることで、かぶき踊りの軽快でエロティックなまでの開放感にふさわしい音色が大きな比重を占めるようになりました。その一方で、風流(ふりゅう)の祭禮のエネルギーをとりいれ、また寺社の荘厳の音楽から、その時々に流行った巷間の雑芸までも利用しています。大太鼓や鐘、銅鑼など、寺社の楽器を黒御簾で使うことで歌舞伎の表現は非常に多様な広がりを獲得してきました(別項参照)。
箏、三弦(三絃とも)、胡弓、尺八は歌舞伎では出番がさほど多くはありませんが、やはり欠かすことはできません。『壇浦兜軍記~阿古屋琴責』では、主役の俳優が舞台で箏と三弦、胡弓を演奏します。尺八は禅宗の一派の普化宗の法器として広まりました。江戸初期に流行して歌舞伎にも取り入れられたのは「一節切(ひとよぎり)」という尺八の一種で、現在の尺八とは異なる楽器です。
歌舞伎に使われる楽器は非常に多種多様なので、ここでは主要楽器を中心にとりあげます。(浅原恒男)