ほんび 本火

歌舞伎の舞台では本火を使うことが少なくない。『仮名手本忠臣蔵』五段目で早野勘平が火縄を使うのは鉄砲に必要なだけでなく、暗い夜の山中で足下を照らすためでもある。その火縄の火を消してしまったことが、勘平の錯誤の悲劇の第一歩になる。マッチもライターも、電気もガスもない時代には、どの家でも囲炉裏やかまどの火種を消さぬようにするのが大切であり、苦労でもあった。同じ『仮名手本忠臣蔵』の七段目では、大星由良之助が密書を読むのに吊り灯籠の火をかき立て、上包みに火をつけて燃やす。『菅原伝授手習鑑』寺子屋で焼香するときも、『本朝廿四孝』で八重垣姫が十種香を焚く場でも、香炉に火種が必要である。『青砥稿花紅彩画』浜松屋の場で弁天小僧が煙草を吸うためには、煙草盆の火入れに火種が必要になる。これらの場面では、行灯や提灯のように電気仕掛けにはできず、本火を使うしかない。その場合の蝋燭や炭などの火種も小道具方の受け持ちである。
『菅原伝授手習鑑』寺子屋の大詰のいろは送りでの送り火や、『摂州合邦辻』合邦庵室の幕開きの迎え火なども重要な小道具で、火打ち石と付け木で火をつけるように見せる工夫がなされている。
人魂や狐火などを表現するため、アルコールを燃やして差し金で操る焼酎火(しょうちゅうび)も小道具。青白い炎が幻想的で、そこに込められた怨念など舞台効果を高める。
(橋本弘毅/金田栄一)

【写真】
『東海道四谷怪談』お岩の霊(中村勘太郎) 平成22年8月新橋演舞場