歌舞伎の時代物狂言を確立した中古歌舞伎作者の祖
生没年不詳【略歴 プロフィール】
生没年は不明ですが、江戸時代中期に活躍した歌舞伎作者です。奈良で生まれて河内(現在の大阪)との間を行き来し遊蕩生活を送っていたので、洒落(しゃれ)て奈河と称したと伝えられています。以後奈河姓は狂言作者の名前として受け継がれることから、亀輔は奈河派の祖といわれています。大坂で初代並木正三に師事して劇作を始め、1771(明和8)年11月中の芝居の番付に初めて作者として名前が載ります。正三の亡くなった1773(安永2)年には立作者となり、それから約15年余りの間京阪の劇界で作者として活躍しました。亀輔の手掛けた作品は40数篇を数えますが、中でも長編の時代物を得意としました。特に1776(安永5)年12月の『伊賀越乗掛合羽(いがごえのりかけがっぱ)』は、興行日数が連続145日間のロングランを記録する大当りをとり、以降も繰り返し上演され、伊賀の仇討を題材とした伊賀越物を代表する作品となりました。こうした観客からの支持もさることながら、有力な金主が付いていた亀輔は、一座の人事や契約まで取り仕切る力をもっていたといわれ、一時は番付に惣支配人と記したこともあったようです。主に中の芝居で活躍した亀輔の門下からは、奈河七五三助(ながわしめすけ)や奈河篤助(ながわとくすけ)などが輩出しています。
【作風と逸話】
実際に起きた事件や実話を題材にした講談・講釈や実録体小説は、当時とても人気があり、それらに精通していた亀輔は、歌舞伎講釈として本読みの会を興行したことでも知られています。そうした講談や実録を歌舞伎に巧みにとり入れて脚色し、長編の時代物作品を作り上げた功績から、中古歌舞伎の祖と称されました。また人間の喜怒哀楽に基づいた「起承転合(きしょうてんごう)」を時代物作品のもつ四幕構成に当てはめる法則を唱えたと、西沢一鳳(にしざわいっぽう)の『伝奇作書(でんきさくしょ)』に伝えられています。その作品は後世の時代物作品にも大きな影響を与えました。
友人の庭園を工夫を凝らして改修し文人墨客専用のサロンを作って人を呼んだり、そこに当時としては珍しい舶来品の品々、ギヤマンや更紗など自分の蒐集した珍品を陳列して唐の開帳と称して興行したりと、なかなかの趣味人であり、また何かと話題性に富んだ人物としても知られていたようです。(井川繭子)
【代表的な作品】
競伊勢物語(はでくらべいせものがたり) 1775(安永4)年4月
伊賀越乗掛合羽(いがごえのりかけがっぱ) 1776(安永5)年12月
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 1777(安永6)年4月
加賀見山廓写本(かがみやまさとのききがき) 1780(安永9)年9月
殿下茶屋聚(てんがぢゃやむら) 1781(天明1)年12月
【舞台写真】
『伽羅先代萩』[左から]乳人政岡(中村魁春)、一子千松(中村玉太郎) 平成23年3月新橋演舞場