うたじょうるり 唄浄瑠璃

「唄がかった浄瑠璃」あるいは「浄瑠璃がかった唄」と二つの定義がありますが、歌舞伎で使われる唄浄瑠璃は後者で、長唄の演奏家が担当します。物語的要素が強く、語りに近い唄ものを指します。使われ方としては、『加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)』八丁畷(はっちょうなわて)の場で、二代目尾上(お初)が岩藤の亡骸の捨てられている土堤の下で回向をすると大ドロになり、尾上が悶絶すると唄浄瑠璃「往事渺茫として全て夢に似たり……」の唄にかかり、岩藤の骨寄せになります。『桜姫東文章』の発端・江ノ島稚児が淵の幕開きで花道から走り出た稚児白菊が七三でおこつくと、追ってきた清玄が白菊の手を取るのが唄浄瑠璃のかかり「花は散りても根にかえる……」など、黒御簾の独吟に近い使われ方が多いようです。『浮世柄比翼稲妻~鞘当』では、吉原仲ノ町の幕が開くと「花の雨」の唄浄瑠璃になり、舞台上手で長唄の唄方二人が立って、三味線方二人は床几に掛けて演奏します。(浅原恒男)

【写真】
『加賀見山再岩藤』八丁畷の場 局岩藤の亡霊(尾上松緑)平成25年7月歌舞伎座
二代目尾上(お初)が岩藤の亡骸のうち捨てられているところに来かかり、回向すると大ドロドロになり悶絶するのが唄浄瑠璃のかかり。「往事渺々(おうじびょうびょう)としてすべて夢に似たり……げに野晒しのあな目のススキ」の文句の内、薄ドロになり陰火たちのぼり、うち捨てられた白骨が寄り集まって岩藤の亡霊が立ち上がる。(黙阿弥全集)