スポーツの試合などでついつい劣勢な方を応援する――日本人は「判官(ほうがん)びいき」だとよく言われます。「判官」は「ほうがん」または「はんがん」と読みます。義経は「ほうがん」ですが、『仮名手本忠臣蔵』の塩冶判官は「はんがん」です。判官とは律令制で定められた「尉」の官位のことで、特に京都における警察のような存在であった検非違使の尉(通常は衛門尉と兼任)をこのように呼びました。義経は一ノ谷の戦いなどがあった1184(寿永3/元暦元)年に、左衛門少尉と検非違使に任じられます。このとき、兄の頼朝に無断で官位を得たことが兄弟不和の原因となったとも言われ、義経は奥州で生涯を終えたのでした。
義経の活躍と悲運の最期は、多くの伝説や物語を生み出し、いつしか「判官」といえば義経のことを指すようになっていきます。強い力を持つ側よりも、弱い立場の者に肩入れする、「判官びいき」という言葉は、そうした義経の活躍に熱狂し、悲劇に同情した江戸時代の人々の心情から生まれました。(日置貴之)

【写真】
『義経千本桜』渡海屋 源九郎判官義経(中村梅玉) 平成25年10月歌舞伎座