源平合戦~屋島の戦い

一ノ谷の戦いの裏側に隠された真実を描いたのが『一谷嫩軍記』でした。一方、『一谷嫩軍記』より4年前に初演された浄瑠璃『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』は讃岐国(現在の香川県)屋島の戦いの後日譚です。
1185(寿永4)年2月19日の屋島の戦いは、平家軍の船から掲げられた扇を、浜にいた義経の家臣那須与一(なすのよいち)が見事に射抜いた物語が有名です。この戦いで平家は義経率いる源氏に敗れ、翌月の長門国(現在の山口県)壇ノ浦の戦いでついに滅びることとなります。ところが、『義経千本桜』の冒頭では、屋島において平家は倒され、能登守教経(のとのかみのりつね)と新中納言知盛(しんちゅうなごんとももり)という二人の大将、さらには平家に奉じられていた安徳天皇も入水したことが語られます。これらはもちろん壇ノ浦での出来事で、知盛は屋島の戦いには参加すらしていません。
『義経千本桜』の作者の並木千柳(宗輔)らは、「屋島の戦いで平家は滅びたと公式には信じられているものの、教経、知盛さらに平維盛(たいらのこれもり)が実はまだ生き延びている」という世界を、作品の舞台としました。そして、悪人の仕業で鎌倉の新政権から追われる身となりながらも、彼ら平家の生き残りを討とうと苦心する義経を描いたのです。
作品の二段目渡海屋・大物浦では、知盛が船幽霊を装って義経一行を襲いますが、かえって義経に裏をかかれ、安徳天皇を義経に託して入水。また、三段目すし屋では所縁の人々の尽力と鎌倉方の情けによって、維盛は密かに出家して高野山へと向かいます。そして、物語の舞台は吉野山へと移ることとなります。(日置貴之)

【写真】
『義経千本桜』大物浦 [左から]渡海屋銀平実は新中納言知盛(中村吉右衛門)、武蔵坊弁慶(市川段四郎)、源義経(中村富十郎) 平成21年10月歌舞伎座