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すみだがわのせかい 隅田川の世界

『伊勢物語』第九段「東下り」に、都を捨てて隅田川までやって来た男たちが、川面に浮かぶ鳥の名を船頭に尋ね、「あれは都鳥」と聞いて都を思い出し、涙する話があります。能『隅田川』では、都の貴族吉田家の若君・梅若丸(うめわかまる)が行方不明となり、わが子を探す母は錯乱状態ではるばる隅田川までやって来ます。そして渡し舟の船頭から、人買いに連れられて来た少年がこの河原で死んだと聞き、その少年こそわが子と知るという物語です。この能が、「梅若伝説」を題材にしたものか、能が元で梅若伝説が出来たのかは不明ですが、いまも東京都墨田区の木母寺(もくぼじ)に梅若塚があり、3月15日(旧暦、現在は新暦の4月15日)を梅若忌として、法要が行われています。
能の『隅田川』では母の名はありませんが、能『班女(はんじょ)』が貴族の吉田少将を熱愛する班女を主人公にしたことから、梅若丸の母も「班女」と呼ぶようになり、梅若丸も吉田の少将の子とされるようになります。
歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)でも、隅田川を舞台に幼い梅若殺しを取り入れた作品が多く作られます。『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』は近松門左衛門作の人形浄瑠璃、『隅田川花御所染(すみだがわはなのごしょぞめ)』は歌舞伎の鶴屋南北作。『都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)』も江戸の歌舞伎作者河竹黙阿弥の作。
『雙生隅田川』の主な登場人物は梅若丸、母の班女、梅若丸の弟で天狗に掠われた松若丸(まつわかまる)、人買いの猿島惣太(さるしまそうだ)。なかでも人買い惣太を重要人物に設定。惣太はもと吉田家の家来でしたが、若気の至りで主家の公金一万両を横領。そして隅田川のほとりに住んで償いのため人身売買で九千九百九十両まで貯めますが、あと十両となった時、焦った惣太は元の主人の子と知らず、誘拐されてきた梅若を殺してしまいます。真実を知った惣太は激しい後悔と憤りの末、松若丸を奪還するため切腹して死に、天狗に変身します。この作品以降、松若と惣太は「隅田川の世界」の作品の重要な登場人物になります。『隅田川花御所染』は「隅田川の世界」に「清玄・桜姫の世界」と「鏡山の世界」を合体しています。南北得意の、いくつかの「世界」をつなげて新たに複雑な作品を作る「綯い交ぜ(ないまぜ)」の手法が用いられているのです。南北は松若を謀叛人、惣太を梅若と清玄尼殺害犯にしました。
『都鳥廓白浪』は江戸時代末期の作品で、松若を女装の盗賊・天狗小僧霧太郎(てんぐこぞうきりたろう)にします。惣太は吉田家の家臣で、紛失した吉田家の家宝を取り戻すため金策に苦しむ男伊達(侠客)にして、偶然出会った梅若を主家の若君とは分からず殺して金を奪う悲劇の主人公にしました。このほか、いまもよく上演されるのが『隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)』、通称「法界坊(ほうかいぼう)」です。主役の生臭坊主、法界坊が大変おもしろい役です。
隅田川の世界には、倭建命(やまとたけるのみこと)や『伊勢物語』の主人公(在原業平といわれるが明記されていない)など、都から東の果てまで流離ってきた落剥の貴人の悲嘆が色濃くただよい、梅若の死とともに、貴種流離譚の典型をなしています。(安冨順)

【写真】
『雙生隅田川』[左から]梅若丸(市川右近)、猿島惣太実は淡路七郎俊兼後に七郎天狗(市川右團次) 平成29年1月新橋演舞場
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