めりやす めりやす

黒御簾音楽の演奏手法のひとつ。深い思いに沈み悲しく寂しい情感を漂わせる場面で演奏されます。その語源は定かでなく、もの哀しい曲調から「滅入りやす」とも、また寸法を自由に伸ばしたり縮めたりできるので布地のメリヤスにたとえたともいわれています。『ひらかな盛衰記~神崎揚屋』で、梅ヶ枝が手水鉢を柄杓で打つ場面で唄われる「無間の鐘(むけんのかね)」がめりやすの嚆矢といわれ、もとは1731(享保16)年正月の江戸中村座『傾城福引名古屋(けいせいふくびきなごや)』で初代瀬川菊之丞の傾城葛城が、名古屋山三のための金の工面に煩悶し、手水鉢を無間の鐘になぞらえて打つところで使われたのが最初です。『廓文章~吉田屋』で、なかなか来ない夕霧を待つ伊左衛門が昔を偲ぶ場面で唄われる「由縁(ゆかり)の月」は、もとは鶴山勾当(つるやまこうとう)が1740(元文5)年に作曲した地歌を借りたもの。1784(天明4)年11月江戸中村座『大商蛭小島(おおあきないひるがこじま)』で伊東祐親の息女辰姫が恋人の源頼朝を北条の息女政子に譲って、髪を梳きながら嫉妬の念に狂おしくなる場面で使われた曲が有名な「黒髪」で、大坂で地歌として流行しました。そのほか、『芦屋道満大内鑑~葛の葉子別れ』で使われる「うきふしはしげき信太の森の露……」など、歌舞伎になくてはならないめりやすの名作が数多く伝えられています。(金田栄一/浅原恒男)

【写真】
『廓文章』吉田屋 藤屋伊左衛門(中村鴈治郎) 平成16年11月歌舞伎座
夕霧に逢いたさに紙衣姿で訪ねてきた伊左衛門が、吉田屋の座敷で夕霧を待つ間、昔を懐かしんでの独白に「由縁の月」(「憂しと見し流れの昔なつかしや、可愛い男に逢坂の関よりつらい世のならい……」)が巧みにあしらわれる。