たゆうしょく 太夫職

太夫は女郎のうち、最上位に位置する遊女。1701(元禄14)年に吉原には1700人余の遊女がいたが、そのうち太夫は5人だけだったという。容姿のみでなく、諸芸に通じ、庶民には高値の花。大名道具ともいわれた。仙台候に身請けされた高尾太夫(仙台高尾)、紺屋の職人の純情に感じて年季あけに女房になったという高尾太夫(紺屋高尾)の話が有名。どうも高尾の名が庶民に愛されているようだ。上方では宮本武蔵とも交流があったという京島原の吉野太夫、島原から大坂新町へ移った夕霧太夫が名高い。若くして亡くなった夕霧は『廓文章』、『夕霧名残の正月』などの芝居に登場する。吉原では1760(宝暦10)年に太夫はなくなったものの、その後も最高位の遊女のことを太夫と呼んだ。のちには「太夫職」は「御職(おしょく)」ともいい、ナンバーワンの太夫のことを指すようになった。(小宮暁子)

【写真】
『廓文章』伊左衛門(片岡仁左衛門)、夕霧(坂東玉三郎) 平成25年5月歌舞伎座