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たけだいずも、こいずも 二代目竹田出雲(小出雲)

二代目は、三大名作すべての合作者のひとり

1691(元禄4)年〜1756(宝暦6)年

【略歴 プロフィール】
竹田小出雲は初代竹田出雲の子で、現在三大名作として名の高い『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の合作者のひとりです。若い時から作者として初代出雲らの手ほどきをうけ、1737(元文2)年に『太政入道兵庫岬(だいじょうにゅうどうひょうごみさき)』を立作者として発表します。単独作はありませんが、合作で多くの名作を著し、特に竹本座に並木千柳を迎えてからは、三好松洛との三大名作や、『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』などが、現代でもひんぱんに上演され続けています。

二代目出雲は、“座本出雲(ざもといずも)”と言われる人形浄瑠璃の竹本座の座本である初代竹田出雲の子で、1747(延享4)年、父親の出雲が亡くなるとすぐ(もしくはそれ以前から)、それまで名乗っていた小出雲から出雲を襲名したとみられています。周囲からは“親方出雲(おやかたいずも)”と呼ばれていたようです。
父の出雲同様、浄瑠璃作者として活躍する一方、座本として竹本座の経営に当たりました。おりしも、彼が座本を勤めた時期は、人形浄瑠璃が黄金時代といわれる最盛期をむかえており、三大名作である『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』を始め優れた作品が次々と初演されていました。同時に太夫、三味線、人形遣いの技量も発達し、それぞれの分野で名人と言われる人々が輩出していました。二代目出雲はその実力者たちの間で、座本として演目や役割に心を配り、調整に苦心しながら一座を運営していました。(飯塚美砂)

【代表的な作品】
新薄雪物語(しんうすゆきものがたり) 1741(寛保1)年5月
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 1746(延享3)年8月
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) 1747(延享4)年11月
仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら) 1748(寛延1)年8月
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 1749(寛延2)年7月
小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり) 1754(宝暦4)年10月

【舞台写真】
『義経千本桜』鳥居前 [左から]静御前(中村児太郎)、佐藤四郎兵衛忠信実は源九郎狐(中村橋之助)、武蔵坊弁慶(坂東彌十郎)、源義経(市川門之助) 平成28年1月歌舞伎座
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