1. 用語
  2. 義経伝説と歌舞伎
  3. 義経伝説・上
  4. 牛若丸の命拾い~常盤御前と宗清

牛若丸の命拾い~常盤御前と宗清

平安時代末期。義経の父源義朝は、朝廷を二分した保元の乱で後白河天皇方につき勝利に貢献します。このいくさの後に政治の実権を握ったのが信西(しんぜい、藤原通憲)でしたが、信西一派への反感などから、再びいくさが生じます。これが平治の乱です。この結果、義朝は信西打倒には成功するものの、都を追われます。そして、東国に落ち延びる途中で立ち寄った尾張国(現在の愛知県)野間で長田忠致(おさだただむね)の裏切りで討たれてしまいます。
『平治物語』は、義朝の敗走後、その側室の常盤御前(ときわごぜん)が今若、乙若、そして後の義経である牛若という3人の子を連れて都を落ちていく様も描かれています。伏見の叔母の元を訪ねた常盤ですが、叔母との対面は叶いません。雪に責められる常盤と子供たちに情けを掛け、宿を提供したのは里の女でした。この名もない女を平家の武将平宗清(たいらのむねきよ)とし、あえて常盤を助けたという筋に作り替えたのが、近松門左衛門の浄瑠璃『源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)』です。さらに、これを歌舞伎舞踊化したのが、1828(文政11)年11月江戸市村座で初演された常磐津『恩愛瞔関守(おんないひとめのせきもり)』で、「宗清」の通称で今日まで伝わっています。また、並木宗輔作の浄瑠璃『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』三段目の熊谷陣屋の段でも、義経が石屋の親仁弥陀六(みだろく)の正体が宗清であることを見破り、自分を助けてくれたことを感謝する場面があり、歌舞伎でも盛んに上演されています。
当時、牛若は2歳(『一谷嫩軍記』では3歳としています)。宗清が義経の命を救ったというのは史実ではないようですが、ここで彼が生き延びたことは、日本の歴史にとっても、また遙か後世の歌舞伎にとっても、大きな影響を与えた出来事であったと言えるでしょう。(日置貴之)

【舞台写真】
『一谷嫩軍記』熊谷陣屋 白毫弥陀六実は弥平兵衛宗清(市川左團次) 平成29年4月歌舞伎座

【図版】
常盤御前 歌川国芳作
常盤御前の懐からわずかに頭が見えるのが牛若、また足元には今若、乙若の下駄履きの足が見える
  1. 用語
  2. 義経伝説と歌舞伎
  3. 義経伝説・上
  4. 牛若丸の命拾い~常盤御前と宗清