よしわら 吉原

江戸の幕府公認の遊郭。1612(慶長17)年に庄司甚右衛門らが江戸市中に散在する遊女屋を一ヵ所にまとめたいと幕府に願い出て、五年後に許された。初めは葦屋町(現在の中央区人形町の辺り)にあった。あし→悪しの音を忌んで、葦(あし)ではなくヨシと言いかえ「吉原」と名付けられた。五十年程経て幕府の命令で日本堤へ移転。新吉原と呼ばれ大いに栄えた。通常、吉原と言えば後者を指す。『助六』もここ吉原の賑わいを舞台にしている。(小宮暁子)

【写真】
吉原仲之町を舞台にした『浮世柄比翼稲妻』[左から]名古屋山三(坂東三津五郎)、茶屋女房お梅(中村福助)、不破伴左衛門(中村橋之助) 平成23年1月新橋演舞場