おいらん 花魁

吉原遊郭での姉女郎への呼称。文字にすれば花のさきがけ、華麗である。古くは太夫といった。女郎や遊女のなかでも地位の高い娼妓をさして特に花魁と呼んだ。最高級の花魁は容姿だけではなく、三曲など遊芸以外にも女のたしなみとして生け花、茶の湯はもちろん、和歌、俳諧の道なども心得ていなければならなかった。元禄14年(1701)に吉原には1700人余の遊女がいたが、そのうち太夫は5人だけだったという。それだけに会うまでに種々の手続きが必要だった。もちろんフリの客が会えるわけがない。置屋から揚屋(茶屋)までの道中を花魁道中といい芝居の『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の道中が代表例である。(小宮暁子)

【写真】
『助六由縁江戸桜』三浦屋揚巻(中村雀右衛門) 平成29年3月歌舞伎座