弁天娘女男白浪 ベンテンムスメメオノシラナミ

観劇+(プラス)

執筆者 / 金子健

弁天と南郷

「美しい娘、実は刺青を入れた不良若衆」という弁天小僧は、女形が存在する歌舞伎ならではの主人公。江ノ島岩本院の稚児であった弁天は容色に秀で、両性具有的な魅力を放つ。女から男への変貌ぶりは大きな見どころのひとつだが、友禅染めの黒地振袖を脱ぐと、下には浅葱と緋の段鹿子、緋縮緬の長襦袢に桜の刺青が映えるという錦絵そのままの色彩美が目を奪う。

また南郷は漁師くずれの海の男という設定で、弁天に対する兄貴分の男性的・骨太な造形。役柄は対照的ながら、立役としてそれぞれ違った格好よさを見せる魅力的なコンビとなっている。扮装や化粧、せりふ回しなど表現の違いにも注目したい。坊主持ちに興じながらの「浜松屋」の引っ込みは、二人の掛け合いが楽しめる見どころ。

浜松屋の男たちここに注目

弁天と南郷を取り巻く浜松屋の登場人物には、歌舞伎における立役の様々なキャラクターが見られるのも楽しい。軽みを含んだ三枚目の番頭や手代たち、篤実な老け役の幸兵衛、若衆役の若旦那宗之助、江戸っ子の粋を見せる鳶頭、そして幕明きにちょっと姿を見せる狼の悪次郎(実は駄右衛門の手下)など。これらの脇役たちのチームワークによって、リアリティや江戸の風情が大切となる世話物の面白さが生かされる。

上演稀な「蔵前の場」

基本的に「浜松屋」「稲瀬川」の二幕構成で上演される本作だが、実はこの二場の間には、「蔵前の場」がある。カットされることが多いため、物語に飛躍があるのは否めない。「蔵前の場」では、奥座敷へ通された逸当が盗賊駄右衛門の正体を現した上、すべては店の者を油断させるための芝居だったことが明らかとなる。「浜松屋」の幕明きに狼の悪次郎が様子を探りに来たり、幸兵衛から二十両をせしめた弁天たちに対して、逸当が煙草盆を煙管でポンと打って「もう帰れ」と合図したりするのも、その伏線となっている。蔵前の場で弁天は幸兵衛の子で、宗之助が駄右衛門の子であったことが判明し、再会を喜ぶのもつかの間、捕手が迫り、駄右衛門たちは浜松屋で誂えた晴れ着を着て稲瀬川へ落ちのびてゆく。ちなみに「浜松屋」幕明きに、狼の悪次郎が注文の出来を確かめに来る着物が、「稲瀬川」で五人男が着る晴れ着である。

せりふ・色彩・音楽美ここに注目

黙阿弥は修辞に優れた名作者。本作でも七五調のリズムが快い、音楽を聴くような数々の名せりふが大きな魅力となっている。「浜松屋」の山場は、弁天の「知らざあ言ってきかせやしょう」に始まる有名な啖呵、そして「稲瀬川」は五人男が一人ずつ名乗りを上げる長ぜりふが最大の聞きどころである。

また五人男が「稲瀬川」で着る紫色の伊達衣裳は、よく見ると一人ずつ染めの柄が違う。弁天は菊と琵琶・白蛇(出自江ノ島の弁財天を利かせたデザイン)、忠信利平は雲と龍。赤星十三郎は星と鳳凰、南郷は荒々しく雲と稲妻・雷獣、そして親分格の駄右衛門は統率力を表す磁石と碇綱・立浪の図案。役柄は演技や鬘ばかりでなく、衣裳の柄でも表現されるのが歌舞伎の面白いところ。

さらには五人男の登場には、それぞれの役柄に合わせて黒御簾音楽のテンポや囃子も変えられる。耳で聴いて、目で楽しむ要素が満載の名場面である。

設定は「鎌倉時代」だが・・・。

本作は、実は物語を鎌倉時代に設定している。そのため「浜松屋」は雪ノ下ということになっており、「稲瀬川」は鎌倉市に実在する川。名せりふ中にも、鎌倉を中心に、金沢八景から東海にかけての地名がたくさん詠みこまれている。

しかし実際に舞台でイメージされているのは、まさしく“江戸”。「稲瀬川」として飾られる大道具は、浅草隅田川の景色である。「浜松屋」で見られる呉服店の商い方も、お客の要望を聞いてから商品を奥から持ってくる方式で、江戸から明治にかけて実際に行われていた。登場人物が見せる手拭や煙管の扱い方、また弁天が「浜松屋」の引っ込みで口ずさむ新内節など、作品の随所に感じられるこうした江戸の情緒も大きな魅力となっている。