観劇+(プラス)
行平と松風
在原行平(ありわらのゆきひら)は、小倉百人一首にも載る平安時代の歌人。阿保親王(あぼしんのう)の息子として生まれ、『伊勢物語』の“昔おとこありけり”の男として知られる在原業平(ありわらのなりひら)の兄である。須磨の浦に蟄居(ちっきょ)したことがあることから、須磨の浦でわびしい暮らしを送ったとされる。須磨で美しい海女の姉妹“松風村雨(まつかぜむらさめ)”と恋に落ちたという巷談と結びついて、能『松風』がうまれた。行平が松風・村雨姉妹と馴れそめ、行平が都に呼び戻されたあと、姉妹は形見としてのこされた冠、衣を手に行平を偲んだというこの話は、“松風村雨もの”として様々な芸能に伝えられた。歌舞伎でもこの『蘭平物狂』のほかに『松風村雨束帯鑑(まつかぜむらさめそくたいかがみ)』や舞踊『汐汲』『浜松風恋歌(はままつかぜこいのよみびと)』『今様須磨の写絵(いまようすまのうつしえ)』などがある。
立師(たてし)八重之助
『蘭平物狂』の魅力はなんといっても華麗な立廻りである。捕手たちが花道の七三に立てた梯子に蘭平が駆け上って決まると、その上にいた捕手が鳶の梯子乗りよろしく逆立ちしたり、蘭平に斬られた捕手が二階の屋根から庭の石灯籠の上に返り落ちし、そのまま地上へ再び返り落ちたりと、スリル満点。こうした立廻りの演出と指導を専門に担当するのが立師である。中でも坂東八重之助(1909~1987)は名人で、1953(昭和28)年9月に明治座で『蘭平物狂』が上演された折に、蘭平役の二代目尾上松緑とともに綿密な手順を組上げ、ダイナミックな立廻りを創り上げ、実際に舞台で見事な返り落ちを演じたことが未だに語り伝えられている。そのほか彼が創った立廻りの代表作は『義経千本桜』小金吾討死、『南総里見八犬伝』芳流閣、『青砥稿花紅彩画』極楽寺山門の大屋根の立廻りなどがある。