菅原伝授手習鑑 スガワラデンジュテナライカガミ

観劇+(プラス)

執筆者 / 金田栄一

菅原道真と菅丞相

この演目のテーマ、主人公となっているのは平安時代の貴族であり学者、後に「学問の神様」として知られる菅原道真ですが、芝居の中では「菅丞相=かんしょうじょう」という役名で登場します。「丞相」というのは本来「じょうしょう」と読み、奈良平安時代の律令制における役職名で、わかりやすくいえば「大臣」です。つまり菅丞相は菅大臣といった意味で、実際に菅原道真は右大臣(右丞相)、藤原時平(ときひら。芝居上では「しへい」)は左大臣(左丞相)でした。職権としては左大臣の方がやや上位です。

三組の親子の別れ

この演目では三組の親子の別れが描かれ、合作した三人の作者がそれぞれ分担して書き分けたとされています。「道明寺」では太宰府へ流される菅丞相と苅屋姫の生き別れ、「賀の祝」では白太夫と若き桜丸の死に別れ、そして「寺子屋」では松王丸と幼い小太郎の無残な別れ。「寺子屋」の松王丸はひとり淋しく果てた桜丸を思い「桜丸が不憫(ふびん)でござる」と源蔵の前で大泣きしますが、もちろん心の底では我が子の死を悲しんでいます。

実際にあった三つ子のニュースここに注目

梅王丸・松王丸・桜丸という三つ子の登場人物については、これが初演された延享3年(1746)に大坂天満で実際に三つ子が生まれて大きな話題となり、そのエピソードをいち早く取り入れています。お話の中では菅丞相の薦めにより三人とも舎人(とねり)という役職についていますが、これは皇族貴族などの警護や雑用をつとめる役割で、この三人は中でも身分の低い牛飼舎人に従事していますので、場面の中にたびたび牛車が登場します。牛は天神さまと深い縁があるのです。

復活された「筆法伝授」の場

菅丞相が源蔵と対面して秘技を伝える「筆法伝授」は比較的近年まで上演されることがなく、昭和18年1月の歌舞伎座で六代目尾上菊五郎の菅丞相、初代中村吉右衛門の源蔵で復活上演されました。実際、この場があると「寺子屋」の場がわかりやすくなります。吉右衛門は永年この場の上演を願いながらも、当時はこの芝居を見たという古い人もなく役作りに苦労したようですが、この場と「寺子屋」との間は何年かの隔たりがあるということで、多少若作りの配慮をしたといわれます。

神格化される菅丞相像ここに注目

菅原道真は天神様として広く慕われていますが、この演目、特に「道明寺」の菅丞相は格別に神格化され、これを演じる俳優は興行の一ヶ月間、特に精神面に気を付けます。近年この役を当たり役としたのは何といっても十三代目片岡仁左衛門で、この菅丞相を演じている間は楽屋に天神様を祀り、毎日香を焚いてお水とお塩を欠かさず、また酒や肉食も断っていたといわれます。現・十五代目仁左衛門もそのあたりをしっかりと受け継いでいるようです。

荒事仕立ての「車引(くるまびき)」

この演目は元々人形浄瑠璃で上演されてから、歌舞伎に取り入れられていますので、全体に義太夫物の味わいを持っていますが、「車引」だけは様式美が強調され典型的な「荒事」に仕上がっています。歌舞伎ならではのアレンジを加えた成功例のひとつでしょう。梅王丸と松王丸が荒事、それに対して桜丸は和事の形を取っています。また三人は三つ子ですので年齢の上下はありませんが、演目全体では梅王丸が長男(本来の主人である菅丞相に仕え、特に愛された梅の名を頂いています)、桜丸が末っ子、しかしこの「車引」の場だけは松王丸が長男という心で演じられています。

女房の名は?

三兄弟の父・白太夫の七十の祝をする「賀の祝」には、それぞれの女房が登場します。春と千代と八重、さて誰が誰の女房か、なかなか覚えられないかもしれませんが、これも少々シャレが利いていてわかってみると簡単です。梅は春を告げるので「春」、松は不老長寿の木で「千代」、桜は遅咲きの八重桜で「八重」。なんとなくご主人の名前と対になっています。年齢順では子持ちの千代、春、そして若い娘の八重というのがお約束で、着ている衣裳にもそのあたりの特徴が表われています。

せまじきものは宮仕え

「寺子屋」の源蔵のせりふですが、数ある歌舞伎演目の中でも名せりふのひとつです。源蔵は恩ある主人の子=菅秀才を助けなければならず、しかしその首を討って渡せという時平公の権力には敵(かな)いません。そこで今日寺入りしたばかりの子供の首を討つ決心をしますが・・・「宮仕えなど、したくはないものだ」というこのせりふに源蔵の偽らざる本心が込められています。この源蔵のモデルについては、元禄の頃に伝内流を開き門弟三千人ともいわれた江戸の書家・建部伝内(たけべげんない)という説があります。

松王丸の鬘(かつら)は「五十日」ここに注目

「寺子屋」に登場する松王丸は病み上がりなので(実は仮病ですが)、長い間寝込んでいたというややむさくるしい長髪に病鉢巻(やまいはちまき)という風体で登場します。この鬘を「五十日」といい、つまり五十日くらい手入れをしていないという心です。このあたりが歌舞伎のアイディアの面白いところでしょう。ちなみに石川五右衛門などの大泥棒は、永いこと牢に入れられていたかあるいは隠れていたということで、さらに大ぶりな「百日」という鬘を用いています。

いろは送り

「寺子屋」の幕切れ近く、亡き小太郎の野辺の送りの場の義太夫は「いろは送り」と呼ばれ、「いろはにほへと・・・」の文字が詠み込まれています。「いろは書く子はあえなくも ちりぬる命是非もなや あすの夜たれか添乳(そえぢ)せん らむ憂い目見る親心 剣(つるぎ)と死出の山けこえ あさき夢見し心地して あとは門火にえひもせず(いろは順=いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむうゐの おくやまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす)」