双蝶々曲輪日記〜引窓 フタツチョウチョウクルワニッキ〜ヒキマド

作品の概要

演目名 双蝶々曲輪日記〜引窓
作者 竹田出雲・三好松洛・並木千柳(合作)
初演 人形浄瑠璃―寛延2(1749)年7月 大坂・竹本座
歌舞伎―寛延2(1749)年8月 京都・嵐三右衛門座
概要 全九段の浄瑠璃作品。外題の『双蝶々』は、この物語の主人公である濡髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)と放駒長吉(はなれごまちょうきち)、二人の「ちょう」のことを指している。濡髪は享保のころに実在した力士をモデルにしているという。二人はやがて義兄弟の契りを交わすのだが、二人の名前の「長」を重ねて「長々」、これを飛び交う二匹の「蝶々」に見立て、両者の達引き(喧嘩)模様を描くことを暗示する題名だ。

歌舞伎では二段目「角力場(すもうば)」と八段目「引窓(ひきまど)」がよく上演されるが、近年しばらく上演が途絶えていた三段目「井筒屋(いづつや)」、四段目「米屋(こめや)」、五段目「難波裏(なんばうら)」も復活上演された。また「引窓」も、しばらく上演されていなかったのを明治期に初代中村鴈治郎が復活し、以後頻繁に上演されるようになった。

前述のとおり人形浄瑠璃として先に上演されたが、歌舞伎で上演されてから人気が出たとされている。これはいかにも強そうな風格ある力士濡髪と、素人相撲の強者ながら本来は素人(米屋の息子)である放駒の対比が「角力場」でより面白く見られたためといわれる。これ以降しばらく『双蝶々』の書替狂言が流行したほど人気となった。また、この作品の4年前に、同じ作者によって作られた『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』が大当たりしている。男の意地と達引が当時の観客に大いに受け入れられたためで、この作品にもその影響が見られる。

●トップページ・タイトル写真
[左から]濡髪長五郎(市川左團次)、南与兵衛後に南方十次兵衛(片岡仁左衛門)、女房お早(中村時蔵)、母お幸(坂東竹三郎) 平成24年11月新橋演舞場

●ページ公開日
平成26年12月1日
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