三社祭 サンジャマツリ

作品の概要

執筆者 / 阿部さとみ
演目名 三社祭
作者 作者:二代目瀬川如皐  作曲:清元斎兵衛
初演 1832(天保3)年 江戸・中村座(『弥生の花浅草祭』)
概要 浅草神社(通称:三社様)の祭礼を当て込んだ作。漁師の桧前浜成、竹成(武成とも)の兄弟が、宮戸川で網打ちをして浅草観音のご本尊を掬い上げた伝説に、山東京伝の黄表紙『心学早染草』から悪玉・善玉の趣向を取り込んだ。
初演は、四代目坂東三津五郎の善玉、二代目中村芝翫(のちの四代目中村歌右衛門)の悪玉。二人は文化文政期に江戸の人気を二分した舞踊の名手・三代目坂東三津五郎と三代目中村歌右衛門の後継者同士で、ライバルがその技量を競い合うところに魅力があった。
近代以降も実力の伯仲した競演がなされ、数々の名舞台が生まれた。六代目尾上菊五郎と七代目坂東三津五郎、坂東鶴之助(五代目中村富十郎)と坂東八十助(九代目坂東三津五郎)、十七代目中村勘三郎と二代目尾上松緑、中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)と坂東八十助(十代目坂東三津五郎)などなどである。最近では、中村勘九郎と中村七之助兄弟が好演している。
元は三段返しの変化舞踊『弥生の花浅草祭』の一コマ。三社祭の屋台の山車人形が動き出すという趣向で、「神功皇后・武内宿彌」から漁師の兄弟に替り善玉・悪玉の踊り、続いて若旦那と田舎侍、石橋(しゃっきょう)の狂いと展開した。この善玉・悪玉の場面が「三社祭」として独立して伝わってきた。他の場は廃れていたのを、1968(昭和43)年国立劇場主催の舞踊公演「天保嘉永の舞踊」で通し上演として、六代目市村竹之丞(五代目中村富十郎)と三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)によって復活され、その後も再演が繰り返された。

●トップページ・タイトル写真
[左から]悪玉(中村勘太郎)、善玉(中村七之助) 平成17年12月歌舞伎座

●ページ公開日 平成28年11月15日
過去の
公演データ