色彩間苅豆~かさね イロモヨウチョットカリマメ~カサネ

観劇+(プラス)

執筆者 / 阿部さとみ

梅幸型、菊五郎型ここに注目

「かさね」には、二つの型が伝わる。六代目尾上梅幸の型と、六代目尾上菊五郎の型で、その最も大きな違いは衣裳と登場の演出である。梅幸型は、かさねが薄紫地に御殿模様の振袖、立矢の地結びの帯。与右衛門は、黒羽二重の紋付に献上の帯。菊五郎型では、かさねが矢絣、与右衛門は團十郎格子の着物を着る。登場の演出は、梅幸型が仮花道を与右衛門、本花道をかさねが出るやり方。詞章の「遅れ先立つ二道を」の二道を視覚的に見せた演出だという。菊五郎型は同じ花道を与右衛門が先に走り出、かさねが後を追ってくる。現在では、与右衛門が上手の草土手から、かさねが花道から登場するのが一般的になっている。かさねの衣裳の可憐さと、のちの惨劇とのコントラストがすさまじい。

かさね説話

かさね説話の中で最も流布したのが元禄三年刊『死霊解脱物語聞書』で、祐天上人の勧化本でもある。母が連れ子の助を殺した因果のため、かさねは助の姿そのままに醜く片目と片足が不自由に生まれついた。かさねは成長したが、夫となった与右衛門に、苅り豆を背負っているところを殺されて怨霊となり、後妻を六人まで取り殺した。そして六人目の妻が生んだ娘菊に取り憑き与右衛門に襲いかかるが、祐天上人の法力で解脱する。続いて助も菊に取り憑き、再び祐天上人が解脱させるというもの。この話は江戸時代初期に下総国岡田郡羽生村(現在の茨城県常総市羽生町付近)で実際に起こった事件とされている。東京目黒の祐天寺には、祐天上人によって解脱したかさねを祀る累塚があり、羽生町の法蔵寺にはかさねの墓がある。

かさね物のパターン

かさね伝説は宗教説話と結びついて世に広まり、歌舞伎にも取り入れられるようになった。歌舞伎の中でかさねは美しい女として造型され、それが何らかの因果で死霊に取り憑かれて、片目と片足が不自由な醜い女へと変貌する。そのうえ嫉妬深くなり、そのために与右衛門に鎌で殺されるというパターンになっている。

年の差カップルここに注目

この作品では、かさねと与右衛門は十八歳の年齢差がある。与右衛門は久保田金五郎という名前の時、羽生村の百姓助の女房お菊と密通。現場に踏み込まれて、菊は火箸で夫の目を、金五郎は出刃で助の左足を傷つけて逃れた。その後、病死した菊の回向をするところへ、幼い女の子を抱いた助がやってきて、金五郎と乱闘になる。助は鎌で惨殺され、女の子は川に流される。この時金五郎は二十歳ほど、女の子は後のかさねで二歳。それから十五年後のお話である。