観劇+(プラス)
伊勢の御師(おんし)
御師とは、伊勢や富士山、熊野などの寺社に属する下級の神官。各地を回り人々に参詣を勧め、祈祷を請け負うとともに旅の案内や宿の手配を行う、今でいうツアーコンダクターのような役割も果たしていた。武士と町人の中間のような身分であったらしい。一般には“おし”というが、伊勢神宮の場合は“おんし”という。
相ノ山(あいのやま)
伊勢神宮の内宮と外宮をつなぐ参道の途中にある間の山(尾部坂のあたり)には、女芸人がいて、三味線を弾きササラをすって哀切な声調の「間ノ山節」という俗謡を歌い、曲芸のようなことをして銭を乞うので有名だった。「間ノ山節」はお伊勢参りの人によりひろまり、「相ノ山」として地歌や上方歌舞伎の下座音楽にもとりいれられた。
伊勢音頭(いせおんど)ここに注目
伊勢に生まれた民謡。松崎音頭、川崎音頭ともいう。お伊勢参りの流行とともに全国に広まり、さまざまなバリエーションを生んだ。劇中では「伊勢は津でもつ 津は伊勢で持つ」という一節や、油屋奥庭の場で芸妓たちが踊る音頭にその片鱗を偲ぶことができる。
夏の衣裳白絣(しろがすり)
貢の白い絣の着物に、黒絽(ろ)の羽織はいかにも涼しげで、“貢さんスタイル”と呼んでもいいほど、知られた取り合わせ。絣は綿や麻に見えるが、実は縮緬地を絣に染めてさらりと柔らかい風合いを出した衣裳である。絣の模様は、十の字絣、キの字絣、井桁絣と演者によってことなる。関西の十一代目、十二代目片岡仁左衛門や初代中村鴈治郎、東京でも六代目尾上菊五郎などは絣でなく、御師という役柄に合わせて、浅黄色の着物に黒紋付きの羽織を着たという。
ぴんとこなここに注目
和事の二枚目だがきりっとした強さがある役柄。同じ和事の二枚目でも“つっころばし”はつつけば転んでしまうような頼りないぼんぼんだが、“ぴんとこな”は押されても踏みとどまって押された手を振り払うぐらいの性根がある。今田万次郎は“つっころばし”、福岡貢は“ぴんとこな”の典型である。
太々講(だいだいこう)
伊勢神宮に参詣する人が奉納する太神楽(だいかぐら)。
青江下坂
阿波の領主蓮葉候(はちすばこう)が万次郎の父今田九郎左衛門(九郎右衛門)や藤浪左膳に命じて探させている名刀。普段上演されることの少ない“太々講”の場で、貢の祖父青江刑部が買い求め「青江下坂」と名付けたが、この刀は青江の家代々に不幸をもたらす刀であったということになっている。一般には、「青江下坂」は備中の刀鍛冶「青江派」の作の名刀として知られた刀である。
折紙(おりかみ)
書画や刀剣などの宝物の作者や由来を書いた鑑定書。これが宝物とともにあれば“保証書付き”ということで、宝物の価値が確かなものとなる。宝物を盗まれて起こるお家騒動などによく登場する小道具。
理不尽なハッピーエンドここに注目
現在上演される『伊勢音頭恋寝刃』の大切(最後の幕)は、喜助が貢の血刀をぬぐい、貢がお紺の肩に手をかけて見得をして終わりだが、近年まではいろいろな結末があった。「お紺を殺してしまい、あとで愛想づかしの真意を知る」「多くの人を刀にかけてしまったので切腹する」、または「切腹したもののあやうく命は助かる」などなど…。確かにこれだけの事件を起こしておいて、めでたく終わるのは理屈に合わない。だが、理詰めで話を進めてもすっきり気分よく終わらないのが歌舞伎の不思議なところ。演じるほうも観るほうも、悪いのは妖刀のせいにして、美しい二枚目の殺し場の様式美を楽しもう。
鹿さん紺さん仲良しさん
『伊勢音頭恋寝刃』にはリズムが耳に残る台詞がいくつかある。器量がちょっと残念な遊女お鹿が、貢に相手にしてもらえず悔しがって、お紺は確かに美人だが私だって気立てのよさで負けてはいないと言い募る場面、「お鹿は気立てや、お紺は器量や、お紺もよいがお鹿もよい、鹿さん紺さん仲よしさん」。また、お鹿が「まーんーや、まーんーや」とのんびり呼ぶ隣で貢が声荒らげる「万呼べ、万呼べ、万野呼べー」や、料理人喜助が刀を用意して「おっと、よしよし」。芝居好きなら、何かの折にはつい口から出る台詞だ。
縁切りと愛想づかしここに注目
女から男への関係解消の宣言が“縁切り”“愛想づかし”である。芝居の“縁切り”は、女が恋人に義を立てさせるため、わざと行われることが多い。しかし男は女の心に気付かず、思ってもみなかった女の裏切りに逆上して、その場は引き下がるが後で仕返しの凶刃をふるう。嫉妬と面子をつぶされた怒りを必死にこらえ、やがて修羅場へとひた走る男に、歌舞伎独特の色気と凄味がほとばしる。歌舞伎ではこのようなシチュエーションを「縁切り物」と呼ぶ。『曽我綉侠御所染~御所五郎蔵(そがもようたてしのごしょぞめ~ごしょのごろぞう)』『江戸育お祭佐七(えどそだちおまつりさしち)』『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』などの狂言の“仕返し”の場で、女が怒り狂った男に殺されるが、本作品でお紺が殺されずにハッピーエンド演出になっている。