東海道四谷怪談 トウカイドウヨツヤカイダン

観劇+(プラス)

執筆者 / 大島幸久

成功祈願

『仮名手本忠臣蔵』が“芝居の独参湯(どくじんとう)”ならこの作品は“怪談狂言の独参湯”でしょうか。常に大入りが期待される人気作で、興行の起死回生の妙薬という訳なのに、上演にあたり成功祈願、興行安泰のお参りをするのが決まりです。なぜでしょう?役者が突然病気になって休演した。楽屋で掛け軸が落下した。大ケガをする裏方が続いた。それはお岩様の祟(たた)りだという説がまことしやかに流れるのです。ああ、恐ろしい。江戸時代には伊右衛門の役者は一度は病気になる、と書かれた本もあります。で、役者はもちろん制作者らがこぞって四谷・於岩稲荷陽運寺、於岩稲荷田宮神宮、巣鴨・妙行寺で祈願するのが恒例になりました。

髪梳(す)き

毒薬を飲んだお岩は浪宅で美しい黒髪を櫛(くし)で梳く演技をします。最大の見せ場、通称“髪梳き”です。顔ははれ上がり、やつれ果てた姿。髪を梳くたびに毛は次々と抜け、額ははげ上がり、血が流れ落ちる。化け物のように変わってしまいます。髪が抜ける仕掛けのカツラを付け、役者の手助けをする後見という人の手を借りて、血みどろの髪がどんどん、どんどん抜けて恐ろしい顔に変化してゆく演技と舞台周辺には、歌舞伎ならではの超絶技巧が隠されています。しっかりと見て、髪梳きのナゾを確かめてください。

仕掛け・トリックここに注目

作品の魅力的な一側面が満載なトリックです。お岩の髪梳きを始め、一本づつ折られた小仏小平の指が蛇になったり、ネズミが赤子を連れ去ったり、お岩から与茂七への早替り、さらに戸板返し。五幕目の蛇山庵室の場では盆提灯抜け、赤子が一瞬で石地蔵に変わる。そして仏壇返し。仕掛けの一つ、戸板返しはこうです。流れてきた不審な物を伊右衛門が引き上げると戸板にくくり付けられたお岩の死骸。ギョッとして引っ繰り返すと小平の死骸。これは戸板に回転できるような支点になる鉄の棒が付いていて、グルリと回すのです。見た目中心の奇抜な演技と演出のケレン味。ミスターマリックもビックリのトリックも醍醐味なのです。



【写真】お岩の霊(中村勘太郎) 平成22年8月新橋演舞場

コクーン歌舞伎

2012(平成24)年12月5日に亡くなった十八代目中村勘三郎は勘九郎時代の1994(同6)年6月に渋谷シアターコクーンでの初演の時、異色の実験を試みました。客席一部は平土間、通路に役者が下りての芝居。舞台前面には25トンの本水入りの水槽を作り、その中で泳ぎ回ったり水の掛け合い。隠亡堀では戸板のお岩と小平の死骸が水の中から現れ、再び水に沈んだ勘九郎が水門から登場。提灯抜けでは、抜けたお岩がそのまま宙乗りで10メートル余を飛ぶ演技。ケレンの名人と言われた初代市川右団次は隠亡堀で花道全体を水槽にしてそこへ戸板が流れてくる演出だったとか。名優たちに工夫を凝らさせずにはおかない、それが「四谷怪談」です。