夏祭浪花鑑 ナツマツリナニワカガミ

観劇+(プラス)

執筆者 / 小宮暁子

堤藤内(つつみとうない)

住吉鳥居前で団七を解放つ牢役人。赦免を言い渡して上手(かみて)に引っ込むなんでもない役だが、江戸時代に沢村淀五郎が引っ込みに扇を顔にかざしたのが見事に夏の夕景の陽差しを表現していて、現在までその型が残っている。

首抜(くびぬき)の浴衣ここに注目

げじげじ眉に伸びほうだいの月代(さかやき)、汚い団七が髪結床から出てくると一転してあかぬけた浴衣姿になる。いい男っぷりを引き立てているのが首抜という、衿から背にかけて首の周囲を紋や図柄を合わせて染めぬいてある浴衣。多くは着ている役者の紋が使用される。さっぱりとした粋な衣裳である。

鉄弓(てっきゅう)

火鉢に乗せて魚などを焼く道具。三婦内の幕開き、おつぎが門口で鉄弓を並べて鯵を焼いている風景は、いかにも大坂下町の夏祭の夕餉を実感させる。
そこへ日傘をさした黒い紗の着付で現れたのは徳兵衛女房お辰。小股の切れ上がったいい女っぷりで、自分の顔に熱い鉄弓を当てる思い切った行動で、女の意地を立通し、また夫の男も立てる女丈夫。

刺青(しせい)

入墨と彫物は別物。入墨は罪人が腕などに入れられた墨刑。刺青には男女が恋の印に互いにいれる入れ黒子(ぼくろ)や、俠気の者が入れる彫物(ほりもの)がある。龍とか鯉の瀧登り、英雄豪傑などの彫物は威勢の良い図柄が多い。女性では白粉彫といって、湯に入ったり身体がほてると図柄が浮き上がってくるという艶めかしいものもあったという。

団七役の図柄は六代目尾上菊五郎系統が閻魔と地獄めぐり、初代中村吉右衛門系が牡丹と唐獅子、實川延若型は不動明王と二童子の三系統がある。現在では団七の舞台姿そのものを彫っている人もいる。針をまとめて肌にあてるのだからかなり痛いし、数年毎に色を刺し直さねばならないので費用も体力もいる。みせびらかすやくざ者はいざしらず、普通彫物をしている人は夏でも長袖を着ていて、めったに他人には見せない。

見得(みえ)

長町裏の殺し場で団七は十幾通りの見得を切る。着物をぬぎすて白い裸体に色鮮やかな刺青、下帯は赤。髪は元結が切れてザンバラのサバキ。刀を後ろに足を割ったり、一本足立ちで刀身を水平にしたり、義平次にトドメを刺す時はその体を跨ぎ刀身をつき、表裏と決まるなど、素敵な型を次々と見せる。義平次は一度だけ蟇蛙(ひきがえる)がつぶされたような格好の蛙の見得をみせる。

本水(ほんみず)ここに注目

義平次を殺害して泥まみれになった団七が、井戸の釣瓶を使って身体の泥と刀身の血糊を洗う場面で、本当の水をかぶる。この時の水を本水と言う。井戸からくみ上げ、ザァザァ体にかける。泥は荒木田という粘着力のある土に香料を入れて使う場合、うどん粉に着色する場合とあるが、本泥と言うことはない。

尊属殺人ここに注目

江戸時代は、殺人のなかでも尊属=父母、舅や姑、伯父、伯母、兄殺しは刑が重かった。尊属殺しは引廻しの上、切首をさらす獄門。親殺しは引廻しの上、磔。と「御定書」にあった。この芝居では「一寸切ったら一尺の竹鋸で挽きかえす」とせりふにある。普通に斬られるのではなく、竹鋸では痛みが数倍増しそうだ。その重罪から団七を救おうと、友人たちは心をくだくのだ。因みに一番重い刑は主人殺しだった。

文楽の団七

文楽人形の首(かしら)には団七という名称のものがあり、『夏祭』長町裏の演技には団七走り(だんしちばしり)と呼ばれる型がある。団七の首のうち[大団七]は豪快な時代物の男役。[小団七]はならず者で最後はモドリになる男役。団七走りは歩く演技を誇張したもので、「尼ヶ崎」の武智光秀や「逆櫓」の松右衛門に使われ、団七役の人形の首は文七(ぶんしち)を使うのだからチョット不思議。

演出さまざま

『夏祭』はカッコ良い人気狂言だが上演されるのは普通「住吉鳥居前」「釣船三婦内」「長町裏」の三場だ。1962(昭和37)年大阪文楽座での、十三代目仁左衛門による仁左衛門歌舞伎の折は「お鯛茶屋」、「道具屋」も出幕になった。1997(平成9)年歌舞伎座の三代目猿之助(現猿翁)もほぼ仁左衛門歌舞伎同様の場割だった。
1996(平成8)年勘九郎(のちの十八代目勘三郎)のコクーン歌舞伎(串田和美演出)は「道具屋」こそ出ないが、「お鯛茶屋」から上演し全体の筋を明確にしている。

串田演出は、泥まみれの「殺し場」の直ぐあとに神輿(みこし)の一団が乱入する場面が圧巻で、以後定番になった。2002(平成14)年平成中村座(大阪扇町公園)では幕切れに舞台背景を開き、捕手に追われる団七と徳兵衛が外の公園へ飛び出し、走り回って戻ってきた。2003(平成15)年のコクーン再演では、幕切れに舞台正面奥の搬入口が開きパトカーが出現して観客の度肝を抜いた。

中村座inニューヨーク

平成中村座の『夏祭』は、2004(平成16)年にはニューヨーク、リンカーンセンター前の広場で上演され、ニューヨーク・タイムズの劇評で激賞される大成功を収めた。このときは、幕切れに拳銃を手にしたニューヨーク市警が登場する演出になった。2008(平成20)年にはベルリン、ルーマニアのシビウでも上演。

2012(平成24)年の平成中村座(大阪城公園)では、幕切れに外に飛び出した団七と徳兵衛はそのまま戻らず、あとには大阪城が聳えていた。