本朝廿四孝〜十種香・奥庭狐火 ホンチョウニジュウシコウ〜ジュシュコウ・オクニワキツネビ

観劇+(プラス)

執筆者 / 小宮暁子

本朝

本外題の本朝とは、中国に対する本朝=日本ということ。「二十四孝」は中国で元(げん)の時代に、故事から二十四人の孝子の話を編集して一書としたもの。孟宗が母親のために天に祈って寒中にあるはずのない筍を掘り当てた話が日本でも有名だが、その雪中の筍がこの『本朝廿四孝』では三段目、雪の竹藪の中で筍実は兵法の書物を掘りだそうとする横蔵と慈悲蔵の兄弟争いに利かせてある。

九代目市川團十郎

明治の劇界の両巨頭、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎。粋でスッキリした菊五郎に比べ、團十郎は目の大きな立派と形容したい風貌で、どちらかといえば女形向きではない。その九代目の八重垣姫が誠に結構だったといわれている。幕が開くと、なんと姫は後ろ向きで絵姿に向かっている。その衿足がたいへん美しくなまめかしい。見物は魅せられて前を向いた八重垣姫を美しいと感じる。もちろん演技の巧みさあってのことだが、いわば錯覚の美。

くどきここに注目

恋心をかきくどく八重垣姫の所作には、さまざまな家の型がある。中村歌右衛門系では扇子を使い、「同じ羽色の鳥つばさ」でカササギの描いてある衝立を使用する。尾上菊五郎系は帛紗(ふくさ)を使い、池におしどりを浮かばせてのぞき込んだりする。また同じ家でも大筋はかわらないが、代々の演者が体格や個性によって細部を工夫する。そこに同じ演目を同じ配役で何度見ても見あきない歌舞伎の醍醐味がある。なお、中村雀右衛門型では「奥庭狐火」の場面は多く人形振になる。この八重垣姫の型については五代目中村歌右衛門が芸談「魁玉夜話」で、六代目尾上梅幸が「梅の下風」で詳しく述べている。

御神渡(おみわたり)

諏訪湖では、厳冬に湖面に厚い氷がはりつめると、その氷の収縮で中央に亀裂が入り、さらに凍るとその部分が大音響とともに膨張して盛り上る。まるで一筋の道のように諏訪明神の上社から下社へとその現象が表われるので、神が渡った跡だと言い伝えられた。諏訪明神の使わしめの狐がまず渡り初めするという。狐が渡らないうちに人が渡ると、湖に落下し、溺れてしまう。その伝説をとり込んで渡り初めの狐に付きそわれて八重垣姫が湖を渡るというメルヘンチックな物語を作り上げた浄瑠璃作者の凄腕。



【写真】諏訪湖の御神渡(おみわたり)(C)諏訪市博物館