観劇+(プラス)
初演の稽古風景
『ヤマトタケル』は1ヶ月の稽古を続けて本公演に突入しました。現代演劇は別として歌舞伎の新作公演では初めての長期稽古を積んだのです。その内、舞台稽古が一週間、そして初日の2日前の2月2日は午前10時から午後11時まで、さらに3日はおよそ4時間半の全幕通し稽古を二回敢行。都合12時間に及ぶ猛稽古を2日連続で行ったのだった。2日の稽古では当時、“突撃リポーター”と呼ばれた故梨本勝さんが飛び入り。猿之助の衣裳を借りて宙乗りを体験。体重81キロの巨体で飛んだのだが、ポタポタと汗が花道に落ちていました。
異例づくしの公演の中で初めての試み
●プログラム(筋書)には横書きの英文解説を別途に発行。
●カーテンコールだけの演出も初めて。
●衣裳パレードを実現。ちなみに、その衣裳は総額1億3千万円。その内、猿之助が付けた白鳥の宙乗り衣裳は鳥の羽2千5百枚を使い、両翼を広げると4メートル。延べ180人がかりで、制作3ヶ月で7百万円の費用だったという。
●スタッフも豪華で、美術を朝倉摂、舞台技術を金井俊一郎、照明を吉井澄雄、衣裳デザインを毛利臣男、音楽を長沢勝俊が担当。セットは事前に模型を制作し、まるでオペラ制作と同じような準備と構想によって実現したのだった。
初演とそれ以降
1986(昭和61)年2月4日、東京・新橋演舞場。この日は将来に渡って忘れられないエポックメーキングの記念日となりました。3月27日まで2ヶ月間打ち抜かれた公演。配役はヤマトタケルが市川猿之助。倭姫(やまとひめ)が九代目澤村宗十郎。皇后(おおきさき)が七代目市川門之助、帝が三代目實川延若と今は亡き名優も出演していました。
帝の役はその後、島田正吾、三代目河原崎権十郎、当代の四代目市川段四郎、金田龍之介、安井昌二らが受け継いできました。初演の年の5月には名古屋・中日劇場、6月に京都・南座、10、11月に再び新橋演舞場と四演を重ねています。そして十年ぶりの復活上演だった2005(平成17)年の新橋演舞場では、市川右近と市川段治郎(現月乃助)が初のダブルキャストでヤマトタケルを演じました。
スーパー歌舞伎路線ここに注目
スーパー歌舞伎の第一作『ヤマトタケル』は歌舞伎が現代に於いてのエンターテインメント作品であることを決定的に印象づける成果を挙げたと言えるでしょう。上演初年度に5ヶ月、2年後の1988(昭和63)年に4ヶ月の公演が行われて、その10ヶ月公演の観客合計は約55万人動員という記録的な大ヒットとなりました。
その大成功を受けて第二弾が生まれました。1989(平成元)3・4月に上演された『リュウオー~龍王』。第三弾の『オグリ~小栗判官』が1991年4・5月、4弾『八犬伝~南総里見八犬伝』が1993年4・5月、5弾『カグヤ』が1996年4・5月、6弾『オオクニヌシ』が1997年4・5月、7弾『新・三国志』が1999年4・5月、8弾『新・三国志Ⅱ~孔明篇』が2001年4・5月、そして第9弾『新・三国志Ⅲ~完結篇』が2003年3・4月に上演され、全て新橋演舞場での初演でした。『ヤマトタケル』を最初として全9作のスーパー歌舞伎が誕生し、一応の区切りとなったのです。
襲名大歌舞伎興行での上演
『ヤマトタケル』が復活したのは2012(平成24)年6月と7月の2ヶ月連続上演(新橋演舞場)でした。「大歌舞伎」の公演は『ヤマトタケル』の上演史でも特別の意味が込められたと言えます。それは初代市川猿翁・三代目市川段四郎五十回忌追善、二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露、五代目市川團子初舞台という4人同時襲名披露公演でもあったから。6月が夜の部、7月が昼の部での上演。そして『ヤマトタケル』の上演は19回目を数えました。再演のたびに台詞の繰り返し、あるいはくどい箇所などを手直しやカット、また上演劇場に合わせて場面変更に伴う大道具の再検討を重ねてきた。現猿之助は四人目のヤマトタケル。こうしてスーパー歌舞伎路線は継承されてきたのです。
猿之助(猿翁)語録ここに注目
◆『ヤマトタケル』は、明日の新作歌舞伎への実験舞台である。『ヤマトタケル』は、新歌舞伎を超える新々歌舞伎創造への、いささかのタタキ台になってくれればそれでよい。それが此度の『ヤマトタケル』の目指すところである。
◆新劇的な芝居と、歌舞伎のケレンとをミックスし、オペラなどさまざまな芝居を採り入れていますので、創り上げていく途中では、もっと実験的なところに留まってしまうかと懸念しました。
◆カーテンコールまで演出してあるのがミソなのです。いつものカーテンコールとは全く違って、おごそかな鎮魂式になっています。つねにタケルは、父に対する愛、思い、純粋さがあったのでしょう。そういうものも出したかったのです。そこですべて演出に組み込んでみました。
◆伝統を守りながらその時代の風と切りむすぶ新しい作品を創ってゆくことが、歌舞伎活性化の道に繋がるものと信じてやみません。
◆ヤマトタケルは出ずっぱり、喋りっぱなしで他のスーパー歌舞伎より三倍くたびれる。私も一世一代の意気込みでタケル役に挑み、私の一座一門の若者たちと共に再び天高く天翔けたいと思っている。(「THE OMODAKA NEWS」2005年2月15日号より)