冥途の飛脚~梅川忠兵衛 メイドノヒキャク~ウメガワチュウベエ

観劇+(プラス)

執筆者 / 水落潔

江戸の飛脚業ここに注目

江戸時代の飛脚業は通信のほかに為替を扱う金融業でもあった。民間の飛脚制度は1663(寛文3)年に幕府が公認したという。現金を運ぶリスクを回避する送金システムの発達は、当時世界的に見ても優れた制度であった。忠兵衛は今でいうなら郵便局長の立場にある。幕府のある江戸と京大坂の間を月に三度発信する定期便があり、これを三度飛脚と呼んだ。

改作『傾城恋飛脚』(けいせいこいびきゃく)

『冥途の飛脚』と、それを1713(正徳3)年に紀海音が改作した『傾城三度笠』をつき合わせて菅専助、若竹笛躬が合作した浄瑠璃が『傾城恋飛脚』。これが1773(安永2)年、曽根崎新地芝居で初演されている。今の文楽の「新口村」はこの作で上演することが多い。

改作の歌舞伎化『恋飛脚大和往来』(こいのたよりやまとおうらい)

『傾城恋飛脚』を歌舞伎に移したのが『恋飛脚大和往来」で、『冥途の飛脚』初演から85年後の1796(寛政8)年に初演された。現在は「こいびきゃくやまとおうらい」の読みが一般的。登場人物は歌舞伎風に類型化され、忠兵衛は和事の役、八右衛門は梅川に横恋慕している敵役になっていて、『冥途の飛脚』にはない、おえん、治右衛門、忠兵衛の許嫁のお諏訪などの役を加えて歌舞伎らしい演技、演出を盛り込んでいる。「封印切」の場は新町井筒屋の設定で、二人の恋を見守るおえんという女性が登場する。最初は忠兵衛の呑気な和事ぶりを滑稽味豊かに見せ、舞台が回った裏の茶屋では忠兵衛と梅川のじゃらじゃらした色模様を見せる。元の店先になってからは、忠兵衛と八右衛門のやり取りをテンポの早い漫才風の会話で演じ、眼目の「封印切」に至る。上方歌舞伎の家ではそれぞれ独自の演出が残っている。

「羽織落とし」

歌舞伎の『恋飛脚大和往来』では、『冥途の飛脚』の「淡路町」の段切れを独立した一幕として演じることがある。場面は新町に近い橋の畔でうかうかと新町に足を向けてしまった忠兵衛が、行こうか戻ろうかと思案しているうちに、着ていた羽織が次第にずり落ちてしまう。恋に溺れて我を忘れた人間の様子を見せる演技で、この場面を通称「羽織落とし」と言っている。

「封印切り」か「封印切れ」かここに注目

『冥途の飛脚』では忠兵衛は自分の意志で封印を切るのだが、歌舞伎の場合はその点が曖昧である。八右衛門が忠兵衛をさまざまに挑発した末、自分の持っている小判を火鉢の縁で叩いて音を出す。忠兵衛も意地から金を火鉢に打ち付けるがはずみで封が切れてしまう。ハッとなったもののもう遅い。自暴自棄になった忠兵衛は残りの金の封も切り「どんなもんじゃい」と立身で極まる。つまり事の成り行きで忠兵衛に観客の同情が自然に集まるように演じるところに歌舞伎演出の特色が見られる。

雪の新口村ここに注目

実は原作『冥途の飛脚』の「新口村」は雨の設定である。『恋飛脚大和往来』では雪で一面の雪景色を背景に揃いの黒の裾模様を着た梅川と忠兵衛が糸経(いとだて)を手に立っている姿を見せる。糸経は麻と藁で織ったむしろのこと。ハレの衣裳とみすぼらしい小道具とのコントラストは視覚美を重んじる歌舞伎らしい改変である。孫右衛門と梅川の件も、目隠しをしての忠兵衛との対面も、原作とはちがい屋外で演じられる。

「盗みする子は憎のうて、縄かける人が恨めしい」

梅川に親切にされた孫右衛門は、やがて彼女が忠兵衛の相手と知り胸の内の思いを語る。その一つが上の台詞で、養い親亀屋の妙閑への義理と、わが子可愛さの狭間で苦しむ父親の心が観客の涙を誘う。

梅川のクドキ

恋しい男を罪人にしてしまった切なさを見せるのが梅川のクドキ。「奈良の旅籠屋三輪の茶屋、三日五日と夜を明かし二十日余りに四十両使い果たして二分残る」と逃避行のありさまを描いた文句は有名である。この後、梅川は孫右衛門に目隠しをして忠兵衛と親子の別れをさせる。

他のジャンルの作品

映画では内田吐夢監督『浪花の恋の物語』(1959年)、舞台ではそれを舞台化した『浪花の恋の物語』(1963年初演)、秋元松代作、蜷川幸雄演出『近松心中物語』(1979年初演)、宝塚歌劇のミュージカル、菅沼潤作、演出『心中・恋の大和路』(1979年初演)などがある。恋のために破滅へと向かう物語は、いつの世も人の心を惹きつける。