妹背山婦女庭訓 イモセヤマオンナテイキン

作品の概要

執筆者 / 飯塚美砂
演目名 妹背山婦女庭訓
作者 近松半二、松田ばく、栄善平、近松東南、三好松洛(後見)
初演 人形浄瑠璃:明和8(1771)年1月 大坂竹本座
歌舞伎:明和8(1771)年8月 大坂中の芝居
概要 飛鳥時代、 “大化の改新”に至るまでの蘇我入鹿(そがのいるか)の暴虐に対抗する人々を、三輪伝説、采女の絹掛柳(きぬかけやなぎ)、石子詰(いしこづめ)、珠取海士(たまとりあま)などの説話をふんだんに盛り込み、壮大なスケールで描いた王朝物。五段からなるが、歌舞伎では三段の「太宰館花渡し」から「吉野川」、四段の「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」と「三笠山御殿」が上演されることが多い。いずれも、大和の雄大な風景を背景にした美しい舞台であり、ことに「吉野川」では両花道を土手に、客席を川に見立て、吉野川を挟んだ敵対する二家の屋敷で繰り広げられる悲劇をシンメトリーに描いていくという珍しい手法をとる。掛合となる義太夫とともに、実力の拮抗した演者がそろわなければ上演できない大作である。境遇の全く違う二人の娘が恋争いを繰り広げる「道行恋苧環」は舞踊としても人気があり、「三笠山御殿」は古怪さと華やかさで、独特の世界を作っている。立作者近松半二の作風が良く反映された名作だ。


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[左から]太宰後室定高(坂田藤十郎)、大判事清澄(松本幸四郎) 平成19年6月歌舞伎座

●ページ公開日 平成27年7月15日
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