花街模様薊色縫~十六夜清心 サトモヨウアザミノイロヌイ~イザヨイセイシン

観劇+(プラス)

執筆者 / 金田栄一

名人小団次と岩井粂三郎(くめさぶろう)

初演の配役は四代目市川小団次の清心に三代目岩井粂三郎(後の八代目岩井半四郎)の十六夜。小団次は小柄で風采が上がらず口跡も良くないといわれながらも、時代の求める写実の芸で下廻りから座頭(ざがしら)の地位まで出世し、河竹黙阿弥との出会いから『忍ぶの惣太』『文弥殺し』『鼠小僧』など「白浪(=盗賊)物」で評判を取り「白浪役者」と呼ばれました。岩井粂三郎は美貌でありながら人気が上がらず伸び悩んでいたところ、美しい粂三郎を坊主頭にして異様な美しさを演出し、さらに強請(ゆすり)という趣向を試みそれが評判となって出世芸となりました。

名曲『梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいつき)』

〽思いがけなく雲晴れて 見交わす月の顔と顔 台詞「ヤ十六夜じゃないか」台詞「清心様か 逢いたかったわいな」〽すがる袂もほころびて色香こぼるる梅の花…

幕開きに朧月夜の恋人たちが心中するまでのくだりで演奏される清元。「すがる袂も~」は聞かせどころです。名曲に乗せ、切ない心中の物語が美しい絵のように展開するのも見どころ。

風雅な舟遊びと船頭のひと言ここに注目

十六夜を助けた白蓮が乗っていたのは江戸の風物、白魚船(しらおぶね)。白魚は淡水と海水が混ざり合う所に産卵するため隅田川下流がその名所で早春の美味、夜に姿を見せるので篝火(かがりび)を焚き、光に集まる白魚を獲ったその場で食しながら一杯という贅沢な舟遊びです。こういったところにも、「実は大泥棒」という人物を風流な俳諧師として登場させる作劇の妙が感じられます。そして船頭が「出ますよ」と言って棹を突くと十六夜はよろけて「アレー」と白蓮に抱きつきます。この「出ますよ」には「(清心の)幽霊が出る」という意味をちょっと匂わせていますが、船頭は何も知らないのですからごく自然に言えばいいわけで、いかにもそれを大げさに言ってはいけない、と古い芸談が伝えています。

「こりゃどうしたら」「よかろうなあ」という“割りぜりふ”

歌舞伎には「割りぜりふ」と呼ばれるせりふの手法があり、二人の人物がそれぞれ順に独白し、最後に同じせりふを両人で言います。深い悩みを表現する歌舞伎独特の演出法でしょう。この演目では、死にきれず百本杭の川岸に再び這い上がった清心と花道から出てきた求女が交互に述懐します。 ⇒清心「またこのように身を投げて、死のうというもこれも一生」、求女「頼む木陰もなきゆえに、なおさらつかえはおさまらず」、清心「死ぬに死なれぬ心の迷い」、求女「急げど道ははかどらず」、清心「こりゃどうしたら」、両人「よかろうなあ」。

強請(ゆすり)の場面は「お富与三郎」の心ここに注目

清吉とおさよが白蓮の本宅に乗り込む場面は、黙阿弥が三世瀬川如皐(じょこう)作の『源氏店』すなわち「お富与三郎」の心で書いているといわれ、「鎌倉雪の下」という場所の設定も同じ、この場の清吉のこしらえもたしかに蝙蝠安(こうもりやす)を彷彿とさせます。また与三郎が若旦那であるのと同様、おさよは清吉にそそのかされて来ているというところを残し、あまり伝法になりすぎないのも心得とされています。

文法無視でも名せりふ「それじゃあ親父に三日月の・・・」ここに注目

白蓮本宅の場で清吉が守り袋から臍の緒(ほぞのお)書きを出し、そこに「下総(しもうさの)国行徳漁夫(りょうし)清次倅清吉」と書かれているのを見た白蓮が、「それじゃあ親父に三日月の、額(ひたい)に疵(きず)は無かったか」と問いかけますが、このせりふは考えてみると少々変です。正しくは「それじゃあ親父の額に、三日月の疵は無かったか」ですが、しかしこれでは気持ち良くなれません。このあたりは理屈や文法を抜きにしてでも耳に心地よい七五調のせりふを作り出す、まさに作者・黙阿弥の鮮やかなマジックでしょう。

鬼薊のモデルとなった鬼坊主清吉

鬼坊主清吉は江戸時代に名を馳せた神出鬼没の盗賊で、京で捕らえられ江戸の小塚原で処刑されたのが文化2年(1805)ですので、この芝居が書かれる50年以上前のことになります。その辞世の句が、「武蔵野に名もはびこりし鬼薊 今日の暑さにやがて萎(しお)るる」と伝えられるところから鬼薊清吉という役名が付けられ、外題の中にも「薊色縫(あざみのいろぬい)」と入れられていますが、この「薊」の一文字が何とも不思議な妖しさと華やかさを放っています。