連獅子 レンジシ

獅子の厳しい英才教育。
父は子をけわしい谷底へ蹴落とす。
深い愛を胸に秘めて…。

獅子の子どもは親に蹴り落とされても力を振り絞ってはい上がるという。父親の厳しい教育に見事に応える子のけなげさが涙を誘う。親子の情愛があふれ出る迫力の名作。

あらすじ

執筆者 / 阿部さとみ

清涼山のふしぎな橋に

能舞台を模した松羽目の舞台に狂言師の右近、左近が登場。右近が手にする手獅子の毛と布(しころ)は白、左近は赤で老若を示している。二人は厳かに舞い始め、文殊菩薩の霊山清涼山にかかる石橋を描写する。石橋は人間が造った橋ではなく、神仏の力によって自ずと出現した橋だという。それは空にかかった虹のようにも見え、そこには文殊菩薩の使いである獅子が牡丹に戯れている。

【左】狂言師右近後に親獅子の精(坂東三津五郎)  平成22年10月新橋演舞場
【右】狂言師左近後に仔獅子の精(中村壱太郎) 平成23年10月南座
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獅子の子落とし伝説

舞は獅子の子落とし伝説へと移る。獅子はわが子を谷底に落とし、這い上がってきた強い子だけを育てるという伝説の再現だ。右近が父獅子、左近が子獅子の心で舞い進む。父がおそろしく深い谷に子を蹴り落とす。子獅子は一度は登ってくるが、また突き落とされると、折からの嵐に爪が立てられず、木陰でしばし休んでしまう。

狂言師左近後に仔獅子の精(市川染五郎) 平成20年1月歌舞伎座
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父の思い

子がなかなか登ってこないのは怖気づいたのだろうか、育てた甲斐がなかったのかと危ぶむ父。深い谷間を覗くと、水面にその影が映り…、親と子がそれぞれの存在に気付く。父の姿を見るや子は勇み立ち、高い岩をものともせず一気に駆け上がっていく。花道から本舞台めがけて勢いよく進んでいく子、それを迎える父の姿が感動的なシーン。やがて二人は手獅子を再び手にし、蝶々を追って花道を入る。

【左】[左から]狂言師左近後に仔獅子の精(片岡千之助)、狂言師右近後に親獅子の精(片岡仁左衛門) 平成26年9月歌舞伎座
【右】[左から]狂言師左近後に仔獅子の精(市川染五郎)、狂言師右近後に親獅子の精(松本幸四郎) 平成20年1月歌舞伎座
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南無妙法蓮華経 VS 南無阿弥陀仏 

獅子の親子が引っ込むと、間狂言になる。場面は清涼山の麓あたり。法華宗と浄土宗の僧が道連れになり、清涼山を登りはじめる。最初は和やかに話をしていたのが、お互いの宗旨を知ると、宗旨の優劣争いに発展。法華経の功徳の素晴らしさ、念仏の御利益のありがたさをそれぞれが身振り手振りで語る。続いて法華宗の僧が団扇太鼓を叩いてお題目「南無妙法蓮華経」を、浄土宗の僧が叩き鉦(かね)を打って念仏「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えるうちに…。いつの間にか、題目と念仏を取り違えるという結果に。折から吹きつける暴風に二人は慌てて逃げていく。

[左から]浄土僧専念(片岡愛之助)、法華僧日門(中村錦之助) 平成23年6月新橋演舞場
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勇ましい親子の獅子の精

大薩摩(物語を語る浄瑠璃の一種)が石橋の様子を描写。やがて勇壮な姿の親子の獅子の精が登場。能にならって「後(のち)シテ」と言う。親子は牡丹の花の匂いをかぎ、やがて狂いと呼ばれる激しい動きを見せる。そして牡丹の枝を手に、芳しく咲く牡丹の花、それに戯れる獅子の様などを描き、親子の息の合った眼目の毛振りとなる。長い毛を豪快に振り、獅子の座について幕。

[左から]狂言師左近後に仔獅子の精(片岡千之助)、狂言師右近後に親獅子の精(片岡仁左衛門) 平成26年9月歌舞伎座
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