源平合戦のさなか、源義経の家来熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)は、敵軍の平敦盛(たいらのあつもり)の命を助けよとの密命を受ける。やむなく身替(みがわ)りにしたのは直実の息子だった。しかし熊谷の陣屋に、息子を心配する妻の相模(さがみ)があらわれる。
1184(寿永3)年、源平一谷合戦の折。源氏の武将熊谷次郎直実の陣屋前に桜の若木があった。桜には「一枝(いっし)を盗むものは、一指(いっし)を切り落とす」という制札が立っていた。それは花を惜しむ主君義経の命令によるもの。そこへ故郷武蔵国から、直実の妻相模が訪ねてくる。初陣の息子小次郎が気がかりでならず、はるばるやって来たのだ。そこへもう一人、敵方の平敦盛の母藤の方が迷い込んできた。藤の方と相模はその昔は主従の間柄。十六年ぶりに再会した二人だが、今は敵味方になっていた。
そこへ沈痛な面持ちの熊谷直実が帰ってくるが、思いがけない妻相模と藤の方の姿に驚く。実は、須磨浦で熊谷は藤の方の息子敦盛を討ち果たしていたのだ。それを知って斬りかかる藤の方に対し、直実は、非情の戦場における敦盛との一騎打ちのありさまと、立派だった敦盛の最期をていねいに物語る。涙にくれる藤の方がせめてもの供養に敦盛が遺した青葉の笛を吹くと、障子に敦盛の影が現れる。しかしそれはまぼろしだった。
実はこの陣屋には、敦盛の首を実検するため主君義経が待っていた。実検のために衣服を改めて主君の前に出た熊谷は、まず制札を引き抜いて義経のもとへ差し出し、首桶(くびおけ)の蓋(ふた)を取って捧げ持つ。その首を見て相模はわが眼を疑った。首は敦盛ではなく、小次郎のものだったからだ。騒然となる母二人を熊谷は押しとどめ、制札を手にして義経の言葉を待つ。
義経は意外なことに、身替り首を実検して、敦盛に間違いないと断言した。実は、敦盛の本当の父親は後白河法皇なのである。皇統に連なる身分の敦盛の命を助けよと、義経は「一枝を伐らば、一指を剪るべし」の制札に事寄せ熊谷に命じていたのだ。主命にこたえるため、熊谷は同じ年頃の息子小次郎の首を身替りにしたのだった。相模は出立前の小次郎の笑顔を思い出し涙にくれる。事態を知った藤の方も呆然となる。
この陣屋には、平家にかかわりある石屋の弥陀六(みだろく)を取り調べようと、源氏の侍梶原景高もやってきていた。梶原は、義経が敦盛を助けたと知ると、鎌倉の頼朝に注進しようと走り出す。ところが弥陀六が梶原に石鑿(いしのみ)を投げつけ殺してしまう。弥陀六は実はその昔、幼い義経の命を助けた弥平兵衛宗清(やひょうびょうえむねきよ)という平家の侍だった。弥陀六は自分の温情が平家を滅ぼす遠因となったことを悔やむ。宗清の顔を覚えていた義経は恩に報いるように、藤の方と鎧櫃(よろいびつ)に隠した本物の敦盛を弥陀六に託す。
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