「仮名手本忠臣蔵」は、人形浄瑠璃のヒット作から生まれた歌舞伎演目の金字塔。
その物語のスケールは、単なる敵討ち成功譚の領域を軽々と超える。
権力の座にある老獪な男の、好色と驕りと嫉妬に端を発した一大事件が、
何組もの主従、夫婦、親子、兄妹の人生を巻き込み、彼らの運命を変えて行く。
数々の名優が工夫を重ね、無数の観客が涙した、美しく、面白く、壮大な傑作。
暦応元年(1338)二月下旬、天下を平定し征夷大将軍の位についた足利尊氏の命で、弟直義が鎌倉鶴岡八幡宮に新田義貞の兜を奉納することとなり、兜鑑定の役として、塩冶判官(えんやはんがん)の妻顔世御前(かおよごぜん)が呼び出される。以前から彼女の美しさに目を付け、横恋慕していた足利家の重役高師直(こうのもろのう)は、良い機会と顔世を引き止めて言い寄る。権力に物を言わせ、強引に口説くのを、来合わせた桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)が見かねて顔世を逃がしてやる。師直が憎々しく侮辱するので、カッとした若狭之助が師直に斬りかかろうとするが、判官が止める。
翌日の桃井若狭之助の館では、鶴岡八幡宮で主人が高師直に恥辱を受けた噂でもちきりになっている。桃井家の執権職加古川本蔵(かこがわほんぞう)が現れ、下部(しもべ)たちを叱りつける。本蔵の妻の戸無瀬と娘の小浪も案じている。そこへ塩冶判官からの使者として大星力弥が訪ねて来る。本蔵と戸無瀬はわざと娘小浪に任せて引っ込む。初々しく凜々しい力弥に、その許嫁である小浪は胸をときめかせて応対する。若狭之助は加古川本蔵を呼び、明日登城したら師直を斬るつもりだと固い決意を打ち明ける。本蔵は黙って主人の脇差しで庭前の松をすっぱと切り「まずこの通りに」と安心させておいて、密かに師直のもとへ馬を走らせる。
本蔵は未明の足利館の門前で登城する師直に追いつくと、若狭之助からと告げて多くの賄賂を贈る。その甲斐あって師直は若狭之助を見るなり平身低頭して謝るので、さすがの若狭之助も拍子抜けしてしまう。危うく助かった師直は、そうと知らずに顔世御前からの拒絶の手紙を持って登城してきた塩冶判官に、屈辱の怒りをぶつける。エスカレートしていく罵詈雑言に、さすが温和な判官もついに堪えきれず、殿中(でんちゅう)で刀を抜けば家は断絶、身は切腹という掟を知りつつ師直に斬りつけた。しかし主人を案じて潜んでいた加古川本蔵に背後から抱き止められ、とどめをさせぬまま取り押さえられる。
判官は裁きを粛々と受け入れ、武士らしく切腹する。そして、必死で駆けつけた家老大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)に無念の想いを伝え、腹切り刀を形見に託して絶命する。「敵は高師直ただ一人……」由良之助は、師直を討つ決意を胸に秘め、今すぐ事を起こそうと血気に逸る若侍たちを抑えて館を明け渡し、静かに立ち去る。
殿中で刃傷事件がおきたとき、判官の供で来ていた早野勘平(はやのかんぺい)は恋人おかるに誘われて館を離れていて、主人の一大事に駆けつけられなかった。
取り返しのつかぬ大失態に、腹を切って詫びようとする勘平を、おかるは必死に説得して思い止まらせる。そしてひとまず二人でおかるの実家、京都山崎へと落ち延びていく。
猟師となった勘平は、数か月経った夏の夜、猟の途中で元同僚の千崎弥五郎(せんざきやごろう)に再会する。弥五郎から、敵討ちへ参加するには軍資金を出す必要があると聞いたものの、貧しい暮らしではとうてい資金捻出は出来そうにない。
一方、おかるの父・与市兵衛(よいちべえ)は、娘が夫勘平のために祇園の花街に遊女として身を売った代金の半額50両という大金を持って、家路を急いでいた。ところが山崎街道で山賊の斧定九郎(おのさだくろう)に大切な50両を財布ごと奪われ、殺されてしまう。そんなこととは夢にも知らず、勘平は雨夜の暗がりの中で猪を追って来て、銃を撃つ。勘平が放った二発の銃弾は定九郎の胸を撃ち抜く。猪と過って人を撃ってしまったと気づいた勘平は動転し、倒れた男を介抱せんと懐に手を入れると、大金の入った財布が手に触れる。悪いと知りつつ、死体をよく確かめもせず、急いで財布を持ち去る。
翌日勘平が帰宅すると、祇園町からきた男女がおかるを連れて行こうとしているところであった。勘平は妻が自分のために身を売ったことを初めて知る。そして遊女屋の女房の話から、昨夜撃ち殺した50両の持ち主は舅与市兵衛だったと思い込む。
おかるが連れて行かれたあと、猟師仲間が与市兵衛の死骸を運んでくる。驚いた姑おかやは、勘平が舅を殺したといって責め立てる。折も折、弥五郎が上役と訪ねて来る。二人はおかやから、勘平が敵討ちの資金に拠出した50両が舅を殺して奪った金だったと聞くと、立ち去ろうとする。勘平は必死で二人を引き止め、苦しい胸の内を語ると、腹に刀を突き立てた。苦衷の告白に心を動かされた弥五郎が与市兵衛の死骸を調べると、傷口は刀でえぐられたもので勘平の仕業ではなく、勘平が鉄砲で撃ったのは舅の敵・定九郎であったと判明する。勘平は晴れて敵討ちの連判状に加えられ、姑に見守られて息絶える。
ここは賑やかな遊里・京都祇園の一力茶屋。大星由良之助が敵討ちのことなど忘れたかのように連日酒を呑み、遊興の限りを尽くしている。おかるの兄・寺岡平右衛門(てらおかへいえもん)は、敵討ち参加を願いに訪ねて来たものの、相手にもされない。一方、元は塩冶家の家老だった斧九太夫(おのくだゆう)はいまでは師直側に寝返り、由良之助の本心を探るため、由良之助に届けられた密書の盗み読もうと床下に隠れている。
そうと知らず由良之助が密書を読み始めると、いまでは遊女となったおかるが二階から覗きみる。それに気付いた由良之助はおかるを手元に呼び、密書を読んだと聞くと、身請けして自由の身にしてやると言って、身代金を払いに奥へ入る。おかるが喜んでいると兄・平右衛門に出会う。平右衛門は、由良之助がおかるを身請けする真意は、口封じに殺すためだと気付く。そして妹に、どうせ殺されるなら兄の手にかかって死んでくれ、敵討ちに参加するために兄に手柄を立てさせてくれと頼む。
おかるが命を差し出そうとしたその時、兄妹の一途な心を見届けた由良之助が止めて、平右衛門に敵討ちへの参加を許す。そしておかるに刀をもたせ、手をそえて床下に潜んでいた九太夫を刺殺させる。おかるに裏切り者を討たせて、亡き勘平の代わりに功を立てさせたのであった。
紅葉が美しい晩秋の東海道を、加古川本蔵の娘小浪(こなみ)とまだうら若い継母の戸無瀬(となせ)が連れだって、京都山科の大星由良之助のもとへと急いでいた。
秋晴れの富士を望む峠で、たまたま見かけた花嫁行列にさえ、小浪の恋心は切なく波立つ。それもそのはず、許婚だった大星力弥との約束も、いまや消えかかっていた。
義理の仲でも戸無瀬は母。血が繋がっていないからこそ、娘の想いを叶えてやらねばならない義理があると、小浪の心を引き立て、足を速めて先を急ぐ。七里の渡しを舟で渡り、庄野・亀山・鈴鹿を越えて、秋の深まりと共にやがて二人の長旅も終盤にさしかかっていく。
雪の朝、遊興先の祇園一力茶屋から仲居に送られて、由良之助が山科の詫び住まいに帰って来る。道々、遊びに事寄せて作った雪玉を裏庭に入れておくよう力弥に命じて、奥へ入る。※
ようやく到着した戸無瀬と小浪は、出迎えた由良之助の妻お石(いし)から、嫁入りを拒絶される。戸無瀬は夫への申しわけに死のうと思い詰め、小浪も操を守って死ぬ決意をする。戸無瀬が小浪を斬ろうと刀をふりあげると、門の外から虚無僧の吹く尺八の『鶴の巣籠(すごもり)』が聞こえてくる。そこへお石が「御無用」と声をかけて現れ、戸無瀬に向かい、主君塩冶判官が殿中で師直を討ち漏らしたのは本蔵が抱き留めたためだから、嫁入りを許す代わりに本蔵の首をもらいたいという。驚く母娘の前に先ほどの虚無僧が入ってきて、天蓋をとると本蔵その人だった。本蔵がお石を踏みつけ、由良之助を罵るので、力弥が飛び出して槍で突く。由良之助が現れ、本蔵がわざと刺されたと見抜き、小浪の嫁入りを許す。そして雪で作った五輪塔を見せて、敵討ちの本懐をとげて死ぬ覚悟を明かす。それを聞いて喜ぶ瀕死の本蔵から師直邸の絵図面を受け取ると、由良之助は力弥と小浪に一夜の契りを許して、旅立っていく。あとに残った本蔵も、戸無瀬と小浪にみとられて、あの世へと旅立って行くのだった。
※「雪転(こ)かしの段」。歌舞伎では時間の関係でほとんど上演されない。
こうした数々の苦難悲劇を乗り越え、とうとう敵討ち当日がやって来る。高家の門前に集合した塩冶浪人たちは、一人一人姓名を名乗り、由良之助の合図で屋敷の中になだれ込んだ。目指すは、高師直ただ一人である。激しい争闘ののち、夜明けも近づいたころ、浪士たちは炭を保管する小さな小屋に隠れていた師直を見つけ出す。由良之助は判官形見の短刀で、敵師直の首を取った。無事目的を達成した浪士たちはエイエイオーと勝鬨をあげ、両国橋をわたって主人塩冶判官の眠る泉岳寺へと向かうのだった。
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