女が大蛇と化して愛する男を焼き殺した道成寺伝説を基にしているが、物語そのものを踊るのではない。テーマは娘の恋心。恋する娘の様々な姿を、色とりどりの衣裳や小道具で彩り豊かに綴っていく。歌舞伎舞踊を代表する絢爛豪華な作品。
舞台は桜花爛漫の紀州(今の和歌山県)道成寺。所化(しょけ=修行中の僧)たちが「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」と繰り返して登場。今日は焼け落ちた鐘楼の鐘が再興され、鐘の供養が営まれるのだが、師匠の長い御経を聞くのが憂鬱なので何か気晴らしの打開策を巡らしている。
道成寺からほど近い小松原。振袖姿の娘・花子が道を急いでいる。ふと袂や裾の乱れた自分の姿に気づいて恥ずかしがり、やがて恋人との逢瀬を回想。朝の別れの時を告げる鐘の音が憎らしいと、鐘への恨みを覗かせ、道成寺へ向かう。
美しい花子の訪問に所化たちは大騒ぎ。花子は白拍子(歌舞を生業とする遊女)で、鐘を拝ませて欲しいと頼む。鐘供養は女人禁制だが、所化たちの禅問答のような問いかけに花子が見事に答えたので、所化たちは舞を舞うことを条件に寺の中に入ることを許す。
花子は赤の振袖姿になり、烏帽子をつけ中啓(扇の一種)を手に舞い始める。能の趣を取り入れた厳かな場面。夕暮れに響く鐘の音から、初夜(午後八時)の鐘は諸行無常と響く…など時を告げる鐘の音を世の無常になぞらえた歌詞で舞う。しかし、歌詞は「諸行無常、寂滅為楽」と世の空しさを伝えるのだが、続けて「聞いて驚く人もなし」と謳い、どこか現世的な揶揄も含まれている。
花子は烏帽子を脱ぎ、能仕立の舞から離れて、ぱっと華やいだにぎやかな歌舞伎の踊りになる。恋に乱れる女心とつれない男の心を歌った歌詞を手踊り(小道具を使わない踊り)で軽やかに綴り、「引き抜き」という手法で一瞬にして赤の衣裳から水浅葱(薄水色)の衣裳に変わる。ここから、つぎつぎと衣裳も小道具も歌も趣向を変えながら、さまざまな恋の踊りが続いていく。
テントツツン、テントツツン…と三味線がリズミカルなフレーズを繰り返す中、花子は桜の花びらをかき集めて鞠を作り、少女のように鞠つきをする。やがて、吉原、島原、伏見、墨染…と、当時の江戸や上方の有名な廓の名前を読み込んだ「廓づくし」の歌詞で明るくテンポよく展開。廓は恋の花咲く場所でもある。
一旦引っ込み、上半身だけ鴇色(ときいろ=薄いピンク)の衣裳になる。赤の笠をかぶった愛らしい娘の姿で、「振り出し笠」(一つの笠を降り出すと三つの笠が連なる仕掛けの笠)を使い可憐に踊る。「梅と桜はどちらが兄か弟かわからない」というかつての流行歌「わきて節」がのどかな趣。
所化たちも肌脱ぎをし花傘を持って踊り出す。赤の襦袢に卵色の股引を見せた坊主たちの楽しい群舞で、「菖蒲と杜若はどっちが姉か妹かわからない」という歌詞で踊る。続いて二人の所化が出「あっちみろ、こっちみろ。やーい」「なんだこいつ!」という軽い悪ふざけをする。
花子は藤色の衣裳で、手拭いを使いしとやかに踊る。恋する思いをかき口説く「クドキ」と呼ばれる眼目の場面。「貴方のために綺麗にお化粧したのに…」とじれたり、ちょっとした言葉に喜んだり、「一緒になろうと約束したのは嘘なのだろうか」と悩み、嫉妬して泣いたり…と恋する娘に共通する思い、女心の切なさが情緒たっぷりに描かれる。
上半身を卵色の衣裳に替え、富士山に吉野山、嵐山、中山、石山、…と、山の名前が読み込まれた「山尽くし」で展開。「末の松山いつか大江山」「恋路に通う浅間山」と恋歌の趣ある詞章で、羯鼓(かっこ=腰に付けて撥で打つ鼓)を打ちながら軽快に踊る。羯鼓を打つ音と足拍子のリズムが耳にも楽しい。稲荷山の箇所ではキツネの真似をする振りなどもある。
紫の衣裳に着替え、手踊り(小道具を使わない踊り)で可愛らしい振りが綴られるくだり。神様に一心に祈ったり、深い仲を噂されて恥ずかしがったりする他、リズムに合わせて手を上下にひらひらさせて身体を揺らしたり…と愛らしい動きがたくさんある。この場面の衣裳の柄は出演者の好みで工夫される。
歩きながらスーッと「引抜き」白の衣裳になり、鈴太鼓(振り鼓ともいう)を使って踊る。二つの鈴太鼓を打ち付ける音、中の鈴のジャラジャラした音、足拍子などの音の複合が楽しい場面。田植え歌で、夢中になって鈴太鼓を床にうちつけてドコドコ音をさせるうちに、いつしか花子の顔色が変わり…。
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