大奥の可憐な御小姓が上様の前で心をこめて優美に舞ううちに、手にした獅子頭に魂が入って勝手に動き出す……。やがて娘はいなくなり、獅子の精が登場して豪快に長い毛を振る。
正月六日のお鏡曳きの余興に、上様の御所望で御小姓の弥生が踊ることになる。弥生が老女と局に手を引かれて出てくるが、はじめは恥ずかしがって逃げてしまう。再び連れ出されて逃げ場を失い、ようやく舞う覚悟を決める。御小姓とは武家方の奥向きに仕える女小姓のことで、主な仕事は茶の給仕。弥生が帯に袱紗をはさんでいるのはお茶の点前をしている途中に連れてこられたことを示している。
弥生は心をこめて舞い始める。若い娘を象徴する振り袖の袂を使った振りから手踊り(小道具を使わない踊り)、袱紗を扱う所作になる。歌詞には日本国土を創った女神男神の神話や川崎音頭、御殿勤めのつらさなどが綴られている。
つづいて女扇(黒塗骨金銀の扇)を手にして、「春は花見に…」と花を眺める様子、谷の川音や松風、「花も散り青葉茂るや夏木立」などと春から夏の風景を紡ぐ。風のそよぎや咲く花を扇で表すなど「見立て」る振りが面白い。のどかな手踊り、早乙女(田植えをする乙女)の姿やほととぎすを見る表現などの後、牡丹が散る風情に興じる様がリズミカルで心浮き立つ。
やがて弥生は二枚の舞扇を使って踊りはじめる。咲き乱れた牡丹が風に香りを乗せ、波のように揺れている景色、香りを慕って蝶が舞う情景などを描く。扇を風車のように指でくるくる回す場面、扇を一枚飛ばしてもう片方の手で受け取る曲芸的なシーンなど、はっと目を引きつける鮮やかな動きも加わる。
舞は最高潮に達し、牡丹に戯れる獅子から中国清涼山の「石橋(しゃっきょう)」の様子を荘重に写してゆく。石橋は底深い谷にかかるごく狭い滑りやすい橋だという。まもなく弥生が獅子頭を手にすると、どこからともなく蝶が飛んできて、獅子頭は蝶を追ってひとりでに動き出す。弥生は獅子頭の力に引っ張られて…。右半身は獅子頭に引かれ、左半身はその場にとどまろうとする身体表現が迫力満点。
弥生が花道へと姿を消したあと、二人の可愛らしい胡蝶の精が現われる。牡丹の花に舞い遊ぶ蝶を擬人化した趣向。「世の中に花がなかったら私たちはどこに宿を借りればよいのだろう」と蝶の心情を歌った歌詞が微笑ましい。振り鼓(鈴太鼓とも)と羯鼓(かっこ)を使って軽快に展開。音楽と振り、足拍子の間(ま)が楽しい。
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