菅丞相(かんしょうじょう)と呼ばれた菅原道真は政敵藤原時平(ふじわらのしへい)の策略で太宰府へ流される。その姿はどこまでも清々しく美しい。残された子息菅秀才を守るのは丞相の愛弟子源蔵。しかし時平方に知られ、首実検にやって来たのは、菅秀才の顔を知る松王丸だったのだが…
春ののどかな加茂堤に一台の牛車、中に居るのは帝の弟・斎世(ときよ)親王ですが、そこへ菅丞相の養女・苅屋姫がやって来て、牛車の中でしばしの逢瀬。若い二人は恋仲ですが、なかなか逢うことの叶わぬ二人なので桜丸とその妻・八重が秘かに手引きしました。しかし見つかれば大変、やって来た追手を桜丸が懸命に追い散らしますが、その隙を見て二人はどこかへ落ち延びて行きます。
筆法で一流をきわめた菅丞相は、その技を伝授せよとの勅命を受け、勘当されていた愛弟子の武部源蔵をひそかに呼び寄せます。古参の弟子左中弁希世(さちゅうべんまれよ)は自らが受けるものと自認していますが、腕も素行も良くありません。そこへ呼び出されたのは武部源蔵。源蔵は菅丞相の家臣で弟子でしたが、御殿勤めの戸浪との不義で主家を追われ、今は夫婦で貧しい寺子屋を営んでいます。その見事な筆さばきにより筆法は源蔵に伝授されます。出仕した菅丞相には太宰府への流罪が告げられ、源蔵は子息の菅秀才を連れて逃げます。
菅丞相は太宰府へ流されて行く途中、伯母の覚寿(かくじゅ)の館の一部屋に身を寄せています。一方、苅屋姫は一目会ってお詫びをと忍んでやって来ますが、覚寿(姫の実の母)に杖で打たれます。すると部屋のなかから「折檻(せっかん)したもうな」と留める丞相の声、しかし部屋に居たのは丞相が自ら刻んだ木像のみ。まさか木像が声を発するとは・・・。そして夜も明けぬ頃、やって来た迎えに伴われて菅丞相が出発しますが、実は時平方がにせの迎えを遣わして丞相を殺す計略でした。やがて本物の迎えがやって来ると再び丞相が姿を現わし覚寿は驚きます。実は先程連れて行かれたのは木像で、何と魂のこもった木像がまぼろしを見せて丞相を救ったのでした。
菅丞相に仕える白太夫には三つ子の男の子がいました。長兄の梅王丸は菅丞相に仕え、松王丸は藤原時平、桜丸は斎世親王に仕えています。しかし藤原時平の策略で菅丞相と斎世親王は失脚、その恨みを晴らさんと時平の牛車の前に梅王丸と桜丸が立ちふさがります。そこへ割って入ったのが松王丸。兄弟とはいえ一つではない、その忠義の働きをお目にかけようといいますが、車の中から時平が姿を現し、その恐ろしい姿にさすがの兄弟もすくみます。そして時平は松王の忠義に免じて助けてやろうといい、兄弟も父親の七十の賀の祝が済むまでは遺恨を預かろうと約束します。
ここは草深い佐太村、三兄弟の父・白太夫が預かっている菅丞相の下屋敷。庭先には丞相が愛した梅・松・桜の木が植えられています。今日は白太夫の賀の祝で、すでに梅王女房の春、松王女房の千代、桜丸女房の八重が忙しく支度をしています。やがてやって来た梅王丸と松王丸は先日の遺恨から喧嘩となり、はずみで桜の枝が折れてしまいました。二人が去ったあと、入れ替わるように桜丸が姿をあらわします。その目の前に白太夫が差し出したのは腹切り刀。自らの行動が斎世ばかりか丞相までも不幸に追いやり、桜丸はすでに死への覚悟を決めています。やはり折れた桜がその行く末を暗示していたのです。
武部源蔵は寺子屋に菅秀才を匿っていますが、それが時平方に知れ首を討って渡せと厳命されています。身替りの子はと苦慮しているところへ、今日寺入りした美しい面差しの小太郎と対面、源蔵の思いは決まりました。やがて首実検役の松王丸がやって来ますがいずれを見ても山里の子ばかり、もう一人いるはずと迫る松王丸の前に差し出された首は・・・「菅秀才の首に相違ない」、そう告げて松王丸は立ち去ります。やがて小太郎を迎えに来た母が「若君菅秀才のお身替り、お役に立てて下さったか?」と叫ぶとそこへ松王丸も現れ「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい!」。なんと松王丸夫婦が我が子を身替りにして、菅丞相への旧恩・忠義を立てたのでした。
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