天守物語 テンシュモノガタリ

観劇+(プラス)

執筆者 / 阿部さとみ

姫路城の伝説

姫路城には長壁(おさかべ、刑部とも)姫伝説の他、様々な怪異物語が伝わる。それらを踏まえて泉鏡花の世界に生まれた戯曲が「天守物語」。江戸時代の奇談集『老媼茶話』では、姫路城天守閣に住む妖怪・長壁姫は十二単を着た気高い女性とされ、肝試しで天守閣に上った小姓の森田図書の度胸と素直さに感心し、証拠として兜を授けたという話が見える。他に亀姫と姉妹である設定や、妖怪朱の盤(朱の盆とも)や舌長姥など亀姫の眷属の伝説も記されている。

富姫と獅子

富姫の正体は、図書之助を追って来た武士の述懐で明かされる。それは獅子頭の伝説と共にあり、二代前の城主が鷹狩の際に馬上から、戦に負けた国の落人とおぼしき艶麗な美女を見つけた。連れ帰ろうとすると人妻だからと拒み、なおも捕らえようとすると舌を噛んで自害した。女は死の間際に獅子頭に向かい無念の胸中を訴え、獅子はその女の血をなめて涙を流した。それ以降三年間続いた大洪水はその女の恨みだと噂されたが、祟りを恐れぬ城主が獅子頭を天守に封じ込めたため、以来、天守は魔物の住処となったという。

人間世界の描写

人間世界の出来事は、天守の高みから見える風景として、富姫たちの台詞によって描写される。権力や武力をふるう男たちへの批判は、鏡花の美意識のもう一つの特色であり、この作品の大きな柱になっている。たとえば、鷹を奪った富姫が図書之助に「お怨み申す」となじられて、「鷹には鷹の世界がある」ときっぱりと答える科白は、この作品の真骨頂といえよう。また、図書之助が逆賊とされて同朋たちに取り囲まれ、逃げてくる様子は、富姫に仕える局の薄(すすき)の台詞によって表現される。「あれ、捕手が掛った。忠義と知行で、てむかいはなさらぬかしら。しめた、投げた、嬉しい。そこだ。御家老が肩衣を撥ましたよ。大勢が抜き連れた」と、台詞のみでその場面を彷彿とさせる伎倆が問われ、俳優の腕の見せ所となっている。

泉鏡花と坂東玉三郎

泉鏡花の生前には、舞台での上演は難しいと言われた「天守物語」は、発表から長い時を経て坂東玉三郎という名女形を得て、洗練、昇華された。かつて三島由紀夫が「うすばかげろうのような」と評した玉三郎の崇高な妖しいまでの美しさ、儚さはまさに幻想の世界の住人と呼ぶに相応しく、泉鏡花の美的世界の表現には他の追随を許さない存在だ。玉三郎の「天守物語」初演は、1977(昭和52)年12月の日生劇場。現代劇の俳優、女優との共演で、音楽は冨田勲によるシンセサイザーの曲であった。以降、上演を繰り返し、1995(平成7)年には監督と主演を務めて映画化。1999(平成11)年にはすべて歌舞伎俳優の布陣で、歌舞伎座での上演を成功させた。その後の上演では、演出も手がけ、泉鏡花の美の世界を現出し続けている。