シバラク

観劇+(プラス)

執筆者 / 橋本弘毅

元禄歌舞伎の魅力

『暫』は言わばすべてが「お約束」として成り立つ、ナンセンスの極致のような演目で、ストーリーはあってないようなもの。それが現在まで変わらず愛されているのは、舞台に溢れる元禄期(1688~1704)の江戸歌舞伎ならではのおおらかさ、見た目にも華やかな道具や扮装、バラエティに富んだ役の数々など、江戸歌舞伎の魅力を凝縮したような一幕だからだろう。とにかくこの舞台は、理屈を考えずに楽しんでほしい。

超人・権五郎

主役の鎌倉権五郎は荒事の中でも最高峰の役で、大役中の大役。その扮装も大がかりで、まるで山が動いているかのような巨大な人間になる。荒事独特の「車鬢(くるまびん)」の鬘に「力紙(ちからがみ)」と呼ばれる大きな和紙をつけ、顔には隈取の中でも最も派手な「筋隈(すじぐま)」、衣裳の柿色の「素襖(すおう)」は三升(みます)の紋が染め抜かれた袖の中に棒を入れてピンと張るようにしてあるなど、見えるところだけでも多くの特徴がある。すべて強さ、大きさを表現するために誇張されている工夫。衣裳や鬘の重量だけでもかなりなもので、衣裳をすべて着せるだけでも大人が数人がかりでようやくできるほど。この役を演じきるには、まさに超人的な体力と気力が必要となる。

荒事は少年の心でここに注目

「荒事は少年の心で演じる」と伝えられている。純真な正義感を表現するためだろう。『暫』の場合は権五郎も少年という設定でわざと幼児語でせりふを言ったり、鯰坊主たちも権五郎に「わっぱ」と呼びかけるなどしている。

役は通称で親しまれる

『暫』の各役は通称で呼ばれることがある。主役で荒事の権五郎は登場時の掛け声から「暫(しばらく)」、公家悪の武衡は主役と対峙する存在という意味の「ウケ」、半道敵という面白味のある敵役の震斎は見た目から「鯰坊主(なまずぼうず)」、その隣の見るからに怪しげな女性照葉は「女鯰(おんななまず)」、義綱ら善人方は太刀で斬られそうになるから「太刀下(たちした)」、成田ら赤い顔で強さを強調するために腹を出している武衡の家来たちが「腹出し(はらだし)」。現在では役名が固定されているが、顔見世狂言の一場面として上演されていた時は上演ごとに役名が変更されていたため、通称でその役を示していた名残だ。

ふしぎな扮装の役々ここに注目

鯰坊主と女鯰も『暫』独特の役。鯰坊主は鯰隈という隈取に、坊主頭でもみあげから長い髪を垂らした個性的な風貌。女鯰も鯰坊主と同じように頭の左右に長い髪を垂らし、花の枝にひょうたんをぶら下げた小道具を持っている。これは「ひょうたんなまず」という禅問答からの発想で、女鯰の得体の知れない雰囲気も表現している。また腹出しも独特なもので、基本的には奴の扮装だが赤ッ面の敵役で、胸をはだけてのぞき見える腹まで赤くなっている。

茶後見(ちゃごうけん)ここに注目

権五郎が花道で「つらね」と呼ばれる長いせりふを言った後、裃姿の後見がしずしずと登場して権五郎に湯呑を差し出す。これは特別に「茶後見」と呼ばれ、通常の後見とは別に役者が演じる。茶後見は様式的に残った楽しい演出で、権五郎が本当にお茶を飲むわけではないが、古風なおおらかさを引き立てるのに一役買っている。

女暫

主人公を女性に置き換えた『女暫』も上演されることがあり、こちらも立女形が演じる。『暫』はかつて主人公の名前が定まっていなかったが、女性の豪傑というイメージからか、『女暫』ではほぼ木曽義仲の愛妾・巴御前とされてきた。つらねの最後で恥ずかしがって顔を隠したり、花道を引っ込む際の「六方」を舞台番に教えてもらいながら行うなど、女形ならではの色気と愛嬌を見せる。



【写真】今井四郎妹巴御前(坂東玉三郎) 平成27年1月歌舞伎座